ジャグラーだけで1億円の家を買う~思い出のレトロパチンコ屋で出会った孤独なスロプロ~
- 2019/01/15
- 15:02
■完全告知機ブームの到来
今の北電子を築いたジャグラー。
登場して以来、20年以上
人気を維持し続けているモンスターマシンだ。
正に回胴界の白飯とも言える本機が登場したのは
1997年1月。

©北電子

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/297,9 | 1/655,4 |
設定2 | 1/273,1 | 1/630,2 |
設定3 | 1/260,1 | 1/606,8 |
設定4 | 1/244,5 | 1/546,1 |
設定5 | 1/240,9 | 1/468,1 |
設定6 | 1/240,9 | 1/364,1 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 94,96% |
設定2 | 98,51% |
設定3 | 100,69% |
設定4 | 103,87% |
設定5 | 105,41% |
設定6 | 107,18% |
【機種紹介】
初代ジャグラーの前身機とも言える
クリエーターの登場から3年。
1994年パチスロ!完全告知機『初代ジャグラー』の原点となった機種とは?
完全告知を世に知らしめたジャグラーは
大ヒットを記録する。
同じく人気を誇っていたニューパル
コンドルとの違いはリーチ目ではなく
あくまで告知ランプをウリにしていた
ところだ。
さらに、この機種の人気の秘密は
支持するユーザーだろう。
飽きやすい若者ではなく、あくまで
単純明快なパチスロに拘る
年配層に圧倒的な支持を受けたため
ジャグラーは今でも人気機種なのである。
【ジャグラーで家を買った男】
私は当時、ジャグラーはほとんど
打ったことがなく、コンドルなどの
技術介入機を打っていた。
理由は目押しさえできれば勝てたからで
適当に台に座り、青テンを狙っている
だけで日当が出たのだから
他の機種は馬鹿馬鹿しくて
打っていられなかった。
・・・ジャグラーが登場してから1年。
この頃は今は亡き近所の〇〇センターという
小さなホールによく行っていたのだが
この店にはいつもジャグラーしか
打たないパチプロが居た。
※推定50代。
帽子を深々と被り、白髪交じりで口ひげを蓄えた
強面の彼は朝一から並び、新台やモーニングにも
目もくれず、ジャグラーの島に直行。
私は後ろのサンダーやレッツを
よく打っていたが、彼を見るたびに
いつも出していた。
もちろん朝一の変更判別やハズシもきっちり
こなしてた剛腕である。
※当時ジャグラーのハズシを実践している
人間は皆無に等しかった。
「ビッグ中の小役どう?」
そんな彼に私が話しかけられたのは
サンダーを打っていた1998年の春のことだった。
サンダーは登場から数か月経って
解析も出ていたが、減算値での
設定判別ができず、そのかわりに
ビッグ中のベルとハズレ確率で
設定を読むことが可能だった。
それで私が小役カウンターを使って
ビッグ中の小役を数えていたのを見て
話しかけてきたのだろう。
※当時は通販でピンク色の小役カウンターが
売っていた。
「あんまり良くないですね。
中間くらいですかね。」
最初は絡まれるのかと思ったが
話してみると思いのほか
普通のおじさんだった。
それ以来、その店に朝一から行くと
たまに話すようになり、一度
お互いが閉店まで打ち切った時に
彼の車で焼肉に連れて行ってもらった。
車種は何かは覚えていないが
たしか3ナンバーのそこそこ良い車
だったと思う。
「俺ジャグラーで家買ったよ」
ビールを飲んでほろ酔いの彼は
そう私に自慢してきた。
パチ屋で知り合った年上のプロは
これまでに何人か居るが、パチスロだけで
キャッシュで家を買った人間と知り合ったのは
これが最初で最後である。
本当かどうかは知らないが、身なりを
見る限り嘘ではないようだった。
※本当かどうかは不明だが、価格は
億らしい。
昭和時代からパチスロを打っており
攻略グループで攻略法やゴトなどもしてきたそうだが
今は疲れてピンの平打ちでジャグラーを
打っているとのこと。
結婚もしていたが、今は離婚して
1人で一軒家に住んでいるそうだ。
ちなみに彼が打っているジャグラーは
いつも設定5だったのだが、朝一に
変更している台は必ず5なのだそうで
それで毎日打っているようだ。
そういうわけで、私はそれ以来
何度か彼にジャグラーの5を譲って
もらったことがあり、それなりに
勝たせてもらった。
・・・それから数か月後、夏にハナビが
登場し、他店の状況が良かったこともあり
某店には行かなくなっていた。
で、いつものように他店でハナビを
打っていると肩を叩かれたので
振り返ると、某店の彼だった。
「連絡先を教えてくれ」
私は少し嫌な予感がしたが
渋々携帯の番号を教えることにした。
彼は番号を聞くとそのままホールを
後にした。
それから数日が経って、彼から
連絡がきたので出ると・・・
「申し訳ないんだけど金を
貸してくれないか」
ジャグラーで家を買った男が
まさかこんなことを言ってくるとは
思ってもみなかった。
事情を聞くと、過去に入会していた
攻略グループと金銭関係で揉めてしまい
飛んだらしいのだが、居場所がバレて
急遽金が必要とのこと。
金は既に全部支払ったそうだが
生活費が足りないので20万ほど
貸してほしいということだった。
なるほど。
あんな寂れたパチ屋で目立たずに
ジャグラーを打っていたのは
これが理由だったのかと。
だが、私は貸さなかった。
当然だろう。
明日もわからない、ましてや大して
知りもしないパチプロに貸す金はない。
ジャグラーの5を何度か譲ってもらっては
いたが、きっぱり断った。
「そうか、わかった」
それ以来、彼から連絡がくることも
某店で見ることもなかった。
風の噂ではその後、彼はジャグラーで
買った家を売って他の地域に
引っ越したらしい。
あれから20年経った今もジャグラーを
打っているのだろうか。
だとしても既に彼は70代である。
一つ言えるのはパチプロは
決して幸せにはなれないということ。
それを私は今、実感している。
私は当時、ジャグラーはほとんど
打ったことがなく、コンドルなどの
技術介入機を打っていた。
理由は目押しさえできれば勝てたからで
適当に台に座り、青テンを狙っている
だけで日当が出たのだから
他の機種は馬鹿馬鹿しくて
打っていられなかった。
・・・ジャグラーが登場してから1年。
この頃は今は亡き近所の〇〇センターという
小さなホールによく行っていたのだが
この店にはいつもジャグラーしか
打たないパチプロが居た。
※推定50代。
帽子を深々と被り、白髪交じりで口ひげを蓄えた
強面の彼は朝一から並び、新台やモーニングにも
目もくれず、ジャグラーの島に直行。
私は後ろのサンダーやレッツを
よく打っていたが、彼を見るたびに
いつも出していた。
もちろん朝一の変更判別やハズシもきっちり
こなしてた剛腕である。
※当時ジャグラーのハズシを実践している
人間は皆無に等しかった。
「ビッグ中の小役どう?」
そんな彼に私が話しかけられたのは
サンダーを打っていた1998年の春のことだった。
サンダーは登場から数か月経って
解析も出ていたが、減算値での
設定判別ができず、そのかわりに
ビッグ中のベルとハズレ確率で
設定を読むことが可能だった。
それで私が小役カウンターを使って
ビッグ中の小役を数えていたのを見て
話しかけてきたのだろう。
※当時は通販でピンク色の小役カウンターが
売っていた。
「あんまり良くないですね。
中間くらいですかね。」
最初は絡まれるのかと思ったが
話してみると思いのほか
普通のおじさんだった。
それ以来、その店に朝一から行くと
たまに話すようになり、一度
お互いが閉店まで打ち切った時に
彼の車で焼肉に連れて行ってもらった。
車種は何かは覚えていないが
たしか3ナンバーのそこそこ良い車
だったと思う。
「俺ジャグラーで家買ったよ」
ビールを飲んでほろ酔いの彼は
そう私に自慢してきた。
パチ屋で知り合った年上のプロは
これまでに何人か居るが、パチスロだけで
キャッシュで家を買った人間と知り合ったのは
これが最初で最後である。
本当かどうかは知らないが、身なりを
見る限り嘘ではないようだった。
※本当かどうかは不明だが、価格は
億らしい。
昭和時代からパチスロを打っており
攻略グループで攻略法やゴトなどもしてきたそうだが
今は疲れてピンの平打ちでジャグラーを
打っているとのこと。
結婚もしていたが、今は離婚して
1人で一軒家に住んでいるそうだ。
ちなみに彼が打っているジャグラーは
いつも設定5だったのだが、朝一に
変更している台は必ず5なのだそうで
それで毎日打っているようだ。
そういうわけで、私はそれ以来
何度か彼にジャグラーの5を譲って
もらったことがあり、それなりに
勝たせてもらった。
・・・それから数か月後、夏にハナビが
登場し、他店の状況が良かったこともあり
某店には行かなくなっていた。
で、いつものように他店でハナビを
打っていると肩を叩かれたので
振り返ると、某店の彼だった。
「連絡先を教えてくれ」
私は少し嫌な予感がしたが
渋々携帯の番号を教えることにした。
彼は番号を聞くとそのままホールを
後にした。
それから数日が経って、彼から
連絡がきたので出ると・・・
「申し訳ないんだけど金を
貸してくれないか」
ジャグラーで家を買った男が
まさかこんなことを言ってくるとは
思ってもみなかった。
事情を聞くと、過去に入会していた
攻略グループと金銭関係で揉めてしまい
飛んだらしいのだが、居場所がバレて
急遽金が必要とのこと。
金は既に全部支払ったそうだが
生活費が足りないので20万ほど
貸してほしいということだった。
なるほど。
あんな寂れたパチ屋で目立たずに
ジャグラーを打っていたのは
これが理由だったのかと。
だが、私は貸さなかった。
当然だろう。
明日もわからない、ましてや大して
知りもしないパチプロに貸す金はない。
ジャグラーの5を何度か譲ってもらっては
いたが、きっぱり断った。
「そうか、わかった」
それ以来、彼から連絡がくることも
某店で見ることもなかった。
風の噂ではその後、彼はジャグラーで
買った家を売って他の地域に
引っ越したらしい。
あれから20年経った今もジャグラーを
打っているのだろうか。
だとしても既に彼は70代である。
一つ言えるのはパチプロは
決して幸せにはなれないということ。
それを私は今、実感している。
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