1999年パチスロ!平和の神曲!『レッドメテオ』の島で最強スロプロが追いかけた夢。
- 2019/01/30
- 19:31
■平和黄金時代の1998年
CT機や大量獲得機が混在していた
この年の9月、平和からビーナスセブンに続き
渋いパチスロが登場する。
その名も『レッドメテオ』

©平和

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/297 | 1/655 |
設定2 | 1/287 | 1/606 |
設定3 | 1/273 | 1/564 |
設定4 | 1/260 | 1/512 |
設定5 | 1/248 | 1/409 |
設定6 | 1/240 | 1/364 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 92,4% |
設定2 | 94,4% |
設定3 | 97,5% |
設定4 | 100,5% |
設定5 | 105,3% |
設定6 | 108,9% |
【基本仕様】
本機はA400タイプマシンでリール上部に搭載された
ドットのチャンスナビで小役をナビし
それがハズレればボーナス確定となる。
ビーナスシリーズと同じ筐体である本機だが
技術介入度は低め。
リプレイハズシは中段テンパイ時はハズすことが
できず、1回目の小役ゲームからハズシを
することが必須である。
※ナビもあり、ハズシ自体は簡単。
そのため、獲得枚数が安定せず
当時のオリンピア系の機種としては
スペックも辛いため、プロには
あまり好まれなかった一台だ。
ただ個人的にはビッグ中の音楽が
好きだったのでそれが聴きたくて
打っていた記憶がある。
【思い出】
当時私がたまに行っていた広くもない
狭くもない中規模のF店。
この店は繁華街にあって、パチ屋が
混在している地域で
一階はパチンコ、地下がパチスロという
作り。
客付きは4割程度ながら
それなりに高設定を使っていたので
居心地は良かった店である。
レッドメテオを新装時に打たなかったのは
やはりその原因は中段ハズシができない
という理由とスペックがイマイチだった点が
気になったため。
打つことになったのは新台から
数か月経ってからである。
その店には主要機種として、コンドル、コンテスト
ハナビ、ビーマックス、イプシロン、そして新台の
バンバンが設置しており、私もこれらの機種をよく
打っていた記憶がある。
1999年パチスロ!大都技研のパチスロで過去一番面白かった名機『バンバン』登場。

©大都技研
レッドメテオは記憶がかなり曖昧なのだが
先日5号機の不二子を打っていて
あのビッグ中の音楽を聴いた時に
ある出来事を思い出した。
※スーパービッグ時に揃える際
第三ボタンを長押しにすれば過去の
オリンピアのBGMが聴ける。
1999年、年の瀬も迫った12月。
私はいつものようにこの店で
コンドルやハナビ、バンバンなどを
好きなように打っていた。
どれも甘い機種がゆえに、その日も
ある程度の日当は出ていたので
夜になり、コインを流すことにした。
ジェットカウンターでコインを流していると
丁度レッドメテオのビッグ中の音楽が
聞こえてきた。
客の数も少なかったのか、音楽が
よく聞こえてきて、それがやけに
耳に残ったのである。
当時は打ちたくなるきっかけなど
そんなもので、次来た時は
打ってみようと思い、しばらく
そのレッドメテオのビッグ中を
消化している若者のハズシを
見ていた。
すると・・・
「明日レッドメテオ打つんですか?」
レッドメテオを打つその若者が
ビッグを消化したと同時に席を立ち
私に話し掛けてきた。
彼とはこの店でたまに顔を合わせる
程度で、話したことがなく
これが初めてだった。
「なんか音楽がかっこいいんで
打とうかななんて」
彼は私から見て立ち回りが上手いと
思っていた人間で、話してみたいと
思っていたので、話しも弾む。
どうやら彼も私と話してみたいと
思っていたようだ。
普段はどこで打っているのか
あの店のイベントはこうだ
あの機種は甘い
などなど、そんな感じで立ち話だが
数十分盛り上がってしまった。
当時はまだネットが普及しておらず
メール会員などもなかったので
イベント情報もチラシや自分の目
人からの情報で知るしか方法がなかったのだ。
で、その日は閉店まで店内で時間を潰し
狙い台にコインを挟んで帰宅。
※コインだったかタバコの銀紙だったかは
覚えていない。
翌朝。
開店30分前に到着すると、やはり昨日の
彼の姿があった。
並びはおそらく10人ほどだったと思う。
私の狙いは昨日仕込んだレッドメテオか
コンテストの設定5の据え置き狙い。
彼も狙いはレッドメテオだそうだが
私の狙いとは被ってなかったので
そのまま開店し、狙い台を確保。
仕込んだコインを見ると・・・
見事無くなっていて
設定変更濃厚。
※この店は閉店後に例外を除いては
台を開けないのでこの小技が使えた。
もちろんこれが高設定とは限らないが
とにかく打つ理由はできた。
というわけで初打ちとなるコイツで
勝負である。
・・・結果から言うと負け。
高設定なのは間違いなかったが
設定差の大きいバケ地獄を食らい
死亡。
一方の彼は前日の高設定台を確保したが
早々にリタイアして他機種に移動し
爆勝ち。
「残念でしたね」
(うるせえ馬鹿野郎)
なんてことは言うわけもなく
この日も翌日の狙いを決めて
帰宅。
そんなことを何か月か繰り返した。
で、彼とは連絡先も交換し、いつの間にか
仲良くなった。
よく打ち終わると近くにある路地裏の焼き肉屋で
スロ談義に花を咲かせた。
「スロライターになりたいんだよね」
私よりも何個か年下だった彼は
目をキラキラさせながらそう語る。
当時大人気だった某雑誌のSに憧れて
彼は毎朝カフェオレを飲んでいたし
確かな目押し力と知識、立ち回りは
その誌上プロそのものだった。
このように上手いプロは大抵ピン打ちなのだが
当時はこういう剛腕が沢山いたのである。
「〇〇ならなれるよ」
そう小さな送別会だと言って
肉をご馳走した。
※私も雑誌に文章を送ったことが
あったが、見事に落ちてしまい
その時は恥ずかしくて言えなかった。
・・・そして2000年春。
F店のレッドメテオが撤去され
ホロQが導入された頃、彼は
夢を叶えるために上京した。

©オリンピア
その後もたまに連絡は取っていたのだが
ある時を境に急に音信不通になり
それから一切連絡を取らなくなった。
・・・あれから約20年。
彼はどのパチスロ雑誌にも載っていない。
夢は夢のまま終わったようである。
おい、奢った肉代返せこの野郎。
当時私がたまに行っていた広くもない
狭くもない中規模のF店。
この店は繁華街にあって、パチ屋が
混在している地域で
一階はパチンコ、地下がパチスロという
作り。
客付きは4割程度ながら
それなりに高設定を使っていたので
居心地は良かった店である。
レッドメテオを新装時に打たなかったのは
やはりその原因は中段ハズシができない
という理由とスペックがイマイチだった点が
気になったため。
打つことになったのは新台から
数か月経ってからである。
その店には主要機種として、コンドル、コンテスト
ハナビ、ビーマックス、イプシロン、そして新台の
バンバンが設置しており、私もこれらの機種をよく
打っていた記憶がある。
1999年パチスロ!大都技研のパチスロで過去一番面白かった名機『バンバン』登場。

©大都技研
レッドメテオは記憶がかなり曖昧なのだが
先日5号機の不二子を打っていて
あのビッグ中の音楽を聴いた時に
ある出来事を思い出した。
※スーパービッグ時に揃える際
第三ボタンを長押しにすれば過去の
オリンピアのBGMが聴ける。
1999年、年の瀬も迫った12月。
私はいつものようにこの店で
コンドルやハナビ、バンバンなどを
好きなように打っていた。
どれも甘い機種がゆえに、その日も
ある程度の日当は出ていたので
夜になり、コインを流すことにした。
ジェットカウンターでコインを流していると
丁度レッドメテオのビッグ中の音楽が
聞こえてきた。
客の数も少なかったのか、音楽が
よく聞こえてきて、それがやけに
耳に残ったのである。
当時は打ちたくなるきっかけなど
そんなもので、次来た時は
打ってみようと思い、しばらく
そのレッドメテオのビッグ中を
消化している若者のハズシを
見ていた。
すると・・・
「明日レッドメテオ打つんですか?」
レッドメテオを打つその若者が
ビッグを消化したと同時に席を立ち
私に話し掛けてきた。
彼とはこの店でたまに顔を合わせる
程度で、話したことがなく
これが初めてだった。
「なんか音楽がかっこいいんで
打とうかななんて」
彼は私から見て立ち回りが上手いと
思っていた人間で、話してみたいと
思っていたので、話しも弾む。
どうやら彼も私と話してみたいと
思っていたようだ。
普段はどこで打っているのか
あの店のイベントはこうだ
あの機種は甘い
などなど、そんな感じで立ち話だが
数十分盛り上がってしまった。
当時はまだネットが普及しておらず
メール会員などもなかったので
イベント情報もチラシや自分の目
人からの情報で知るしか方法がなかったのだ。
で、その日は閉店まで店内で時間を潰し
狙い台にコインを挟んで帰宅。
※コインだったかタバコの銀紙だったかは
覚えていない。
翌朝。
開店30分前に到着すると、やはり昨日の
彼の姿があった。
並びはおそらく10人ほどだったと思う。
私の狙いは昨日仕込んだレッドメテオか
コンテストの設定5の据え置き狙い。
彼も狙いはレッドメテオだそうだが
私の狙いとは被ってなかったので
そのまま開店し、狙い台を確保。
仕込んだコインを見ると・・・
見事無くなっていて
設定変更濃厚。
※この店は閉店後に例外を除いては
台を開けないのでこの小技が使えた。
もちろんこれが高設定とは限らないが
とにかく打つ理由はできた。
というわけで初打ちとなるコイツで
勝負である。
・・・結果から言うと負け。
高設定なのは間違いなかったが
設定差の大きいバケ地獄を食らい
死亡。
一方の彼は前日の高設定台を確保したが
早々にリタイアして他機種に移動し
爆勝ち。
「残念でしたね」
(うるせえ馬鹿野郎)
なんてことは言うわけもなく
この日も翌日の狙いを決めて
帰宅。
そんなことを何か月か繰り返した。
で、彼とは連絡先も交換し、いつの間にか
仲良くなった。
よく打ち終わると近くにある路地裏の焼き肉屋で
スロ談義に花を咲かせた。
「スロライターになりたいんだよね」
私よりも何個か年下だった彼は
目をキラキラさせながらそう語る。
当時大人気だった某雑誌のSに憧れて
彼は毎朝カフェオレを飲んでいたし
確かな目押し力と知識、立ち回りは
その誌上プロそのものだった。
このように上手いプロは大抵ピン打ちなのだが
当時はこういう剛腕が沢山いたのである。
「〇〇ならなれるよ」
そう小さな送別会だと言って
肉をご馳走した。
※私も雑誌に文章を送ったことが
あったが、見事に落ちてしまい
その時は恥ずかしくて言えなかった。
・・・そして2000年春。
F店のレッドメテオが撤去され
ホロQが導入された頃、彼は
夢を叶えるために上京した。

©オリンピア
その後もたまに連絡は取っていたのだが
ある時を境に急に音信不通になり
それから一切連絡を取らなくなった。
・・・あれから約20年。
彼はどのパチスロ雑誌にも載っていない。
夢は夢のまま終わったようである。
おい、奢った肉代返せこの野郎。
シェアして皆に教えよう!
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