2003年パチスロ!ジャグラーは設定1でも勝てる甘い機種『ジャグラーガール』で喰っていた開店プロ時代。
- 2019/03/21
- 11:05
■2003年、時代は4,5号機へ
爆裂AT機の規制によりパチスロは
4,5号機時代に突入していた。
そしてこの年の4月、北電子から
衝撃の告知音を初搭載したジャグラーが
登場する。
その名も『ジャグラーガール』

©北電子

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/297,89 | 1/655,36 |
設定2 | 1/273,06 | 1/630,15 |
設定3 | 1/260,06 | 1/606,81 |
設定4 | 1/244,53 | 1/546,13 |
設定5 | 1/240,94 | 1/468,11 |
設定6 | 1/240,94 | 1/364,08 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 97,03% |
設定2 | 101,13% |
設定3 | 103,68% |
設定4 | 107,45% |
設定5 | 109,36% |
設定6 | 111,61% |
【基本仕様】
本機はA400タイプの完全告知マシン。
これまでのジャグラーシリーズ同様
ゴーゴーランプは搭載されているが
今作は前述の告知音に加え、文字だけが
光るのではなく、現在のアイムのように
ランプ全体が光る仕様になっていた。
豆電球からLEDに変更したのも本機からである。
また、ゴーゴージャグラーから
小役狙いとハズシを駆使すれば
かなり甘い機種だと雑誌に掲載されたため
話題となり、一部のプロ達にも注目され
このジャグラーガールに関しても
同じだった。
【思い出】
フル攻略の機械割が高いと知られて以降
ジャグラーは年配層だけが打つものという
イメージが無くなり、老若男女問わず
愛される機種となった。
これは爆裂AT機が撤去され、その代わりに
登場した辛いスペックの4,5号機のせいでも
あるだろう。
実際私もこの頃は4,5号機のストック機や
AT機よりもジャグラーを打つことが多かった。
ただ、初打ちの感想としては、正直
豆電球がふんわり光るそれまでの
ジャグラーが好きだったので
ガールの派手に光るゴーゴーランプは
好きにはなれなかった。
・・・時は2003年末。
郊外にH店がグランドオープンするという情報が
入り、私はテコを二人使って並びに参加した。
店はそれなりに広く、綺麗で、データ機器も
充実しており、現在のアミューズメントパーラーと
ほとんど変わらない。
※このH店は現在も営業中。
狙いはジャグラーガールなので、開店の
2時間前に並んだが、全員台を確保。
この店のチェーン店は年配層が多く
ジャグラーに力を入れていたので
ある程度期待できる。
ちなみに同じ時期に登場した平和の
AT機『ドロンジョにおまかせ』も
第二の看板機種のためか、全台
高設定だった模様で
かなりの出玉感があった。

©タツノコプロ
©バンプレスト
©平和
結局私達3人のジャグラーは全員が
高設定だったようで
短縮営業ではあったものの、7万ほどの
プラスになった。
途中、近くの大学に通っていた彼女が
応援に駆けつけて、夜飯を持ってきてくれた
こともあったりと、今でもこの日のことに
ついては思い出深い。
そして帰りはテコと三人で焼肉屋へ。
そこで明日の狙い台決めと今後の予定の
ついて話し合う。
ちなみにこの頃のテコ二人は
どちらも借金苦で音信不通になっている。
ある意味スロプロとして充実していたが
パチスロが嫌いになった原因はこの頃に
打ちすぎたジャグラーのせいでもある。
毎日、朝から並び、変更判別をして
合格すれば、小役狙いとハズシを駆使して
ひたすら閉店まで回す。
この単純な作業を数か月、いや数年
繰り返していた頃にはジャグラーだけでなく
パチスロ自体にも魅力を感じなくなっていた。
パチスロは作業感が出てしまうと
つまらなくなる。
モチベーションはパチスロで喰っていく以上
収支に直結するので、非常にマズイ。
嫌いなものに真剣になれないため
適当な立ち回りをしてしまい、負ける。
そして余計にパチスロが嫌いに
なっていく。
ただパチスロで勝つためには
どうしても作業感は出てしまう。
そんなことを考えながらも
ジャグラーで喰っていたこの時代。
爆裂機の規制以降、年々辛くなるパチスロと
彼女のスロプロへの不安から、引退の
二文字が頭に過っていた。
あれから15年。
その頃のまともなスロプロだった自分は
既に居ないが、未だにパチ屋に
しがみついている。
今から25年前、兄貴に連れられて
初めてパチンコを打った時
その時に勝った3000円が
私を道の外れた人生へと
導いてしまったことに悔いているのである。
フル攻略の機械割が高いと知られて以降
ジャグラーは年配層だけが打つものという
イメージが無くなり、老若男女問わず
愛される機種となった。
これは爆裂AT機が撤去され、その代わりに
登場した辛いスペックの4,5号機のせいでも
あるだろう。
実際私もこの頃は4,5号機のストック機や
AT機よりもジャグラーを打つことが多かった。
ただ、初打ちの感想としては、正直
豆電球がふんわり光るそれまでの
ジャグラーが好きだったので
ガールの派手に光るゴーゴーランプは
好きにはなれなかった。
・・・時は2003年末。
郊外にH店がグランドオープンするという情報が
入り、私はテコを二人使って並びに参加した。
店はそれなりに広く、綺麗で、データ機器も
充実しており、現在のアミューズメントパーラーと
ほとんど変わらない。
※このH店は現在も営業中。
狙いはジャグラーガールなので、開店の
2時間前に並んだが、全員台を確保。
この店のチェーン店は年配層が多く
ジャグラーに力を入れていたので
ある程度期待できる。
ちなみに同じ時期に登場した平和の
AT機『ドロンジョにおまかせ』も
第二の看板機種のためか、全台
高設定だった模様で
かなりの出玉感があった。

©タツノコプロ
©バンプレスト
©平和
結局私達3人のジャグラーは全員が
高設定だったようで
短縮営業ではあったものの、7万ほどの
プラスになった。
途中、近くの大学に通っていた彼女が
応援に駆けつけて、夜飯を持ってきてくれた
こともあったりと、今でもこの日のことに
ついては思い出深い。
そして帰りはテコと三人で焼肉屋へ。
そこで明日の狙い台決めと今後の予定の
ついて話し合う。
ちなみにこの頃のテコ二人は
どちらも借金苦で音信不通になっている。
ある意味スロプロとして充実していたが
パチスロが嫌いになった原因はこの頃に
打ちすぎたジャグラーのせいでもある。
毎日、朝から並び、変更判別をして
合格すれば、小役狙いとハズシを駆使して
ひたすら閉店まで回す。
この単純な作業を数か月、いや数年
繰り返していた頃にはジャグラーだけでなく
パチスロ自体にも魅力を感じなくなっていた。
パチスロは作業感が出てしまうと
つまらなくなる。
モチベーションはパチスロで喰っていく以上
収支に直結するので、非常にマズイ。
嫌いなものに真剣になれないため
適当な立ち回りをしてしまい、負ける。
そして余計にパチスロが嫌いに
なっていく。
ただパチスロで勝つためには
どうしても作業感は出てしまう。
そんなことを考えながらも
ジャグラーで喰っていたこの時代。
爆裂機の規制以降、年々辛くなるパチスロと
彼女のスロプロへの不安から、引退の
二文字が頭に過っていた。
あれから15年。
その頃のまともなスロプロだった自分は
既に居ないが、未だにパチ屋に
しがみついている。
今から25年前、兄貴に連れられて
初めてパチンコを打った時
その時に勝った3000円が
私を道の外れた人生へと
導いてしまったことに悔いているのである。
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