1990年パチスロ!『コンチネンタルⅢ』刑務所上がりの男がパチスロで一財産を築いた話。
- 2019/03/21
- 18:37
■1990年、セブンラッシュを搭載した名機登場
時は裏モノ全盛の3号機時代。
この年の10月にメーシーから今や名機として
知られる集中機が登場する。
それが『コンチネンタルⅢ』

©メーシー

※ボーナス確率
ビッグ&レギュラー
全設定共通:1/409,8
設定 | 機械割 |
設定1 | 1/3682,2 |
設定2 | 1/2048,4 |
設定3 | 1/1386,5 |
設定4 | 1/1024,0 |
設定5 | 1/798,0 |
設定6 | 1/676,3 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 91,9% |
設定2 | 97,8% |
設定3 | 104,2% |
設定4 | 111,2% |
設定5 | 118,7% |
設定6 | 124,8% |
【基本仕様】
当ブログでも何度か登場している本機は
シングルボーナスの集中を搭載したA-Cタイプ。
1990年パチスロ!過去最高の一撃集中役「セブンラッシュ」を搭載した『コンチネンタルⅢ』登場。
魅惑のリーチ目と爆発力を兼ね備えており
コンチネンタルⅠと共に人気を博した
本機だが、Ⅰ同様に4枚掛け攻略法の
発覚し、さらにそれにメーカーが
関与していたとして検定取り消し処分となった。
パチスロ破壊的攻略法・・・名機「コンチネンタル」の4枚掛けセットを200万で買った男。
【思い出】
この機種は登場してしばらくしてから
新宿のグリンピースで打ったのが最初だ。
個人的にユニバのドデカ7が好きで
且つ当時としては他メーカーよりも
操作性が良く、初打ちの時は
既に4号機が登場していたが
何の違和感もなく打てた。
当時の人気機種ということで
4号機時代に突入してからこそ
影を潜めたものの、2004年に
みなし機として撤去されるまで
長い間ホールに設置されていた。
【ムショ上がりのパチプロ】
私がその男A氏と知り合ったのは
1990年代後半のこと。
時代は4号機技術介入機時代であり
目押しさえできれば勝てた時代である。
彼は私がジグマとして喰っていた某店に
オープンから数か月経ってから
顔を見せるようになった。
「今日は何打つんだ?」
そういきなり話しかけてきたのは
並びの最中。

©アルゼ
私は狙い台のグランシェルを打つことを
伝えると、その男はそうかと一言頷き
それから再び競馬新聞に目をやる。
彼は他のどの常連とも話しをするところを
見たことがなかったが、私はそれ以来
店で会うとたまに話すようになった。
推定30代後半のA氏は痩せ型で
ノーネクタイのスーツに、黒い
サングラスを掛けており、いつも
ギンパラを打っていたが
たまにアステカなども打ったりしていた。
風貌は如何にも怪しいのだが、話をすると
意外にも、もの静かで話し方も柔らかい。
それから約1年。
連絡先を交換するまでになり
某店が閉店してからもたまに
飯を食いに行く仲になっていた。
そんなある日、夜中に急に呼び出され
飲みに誘われたのは2000年末のこと。
たしかその日は大ハナビで大勝ちして
気分もよかったので誘いに乗ることにした。
「某ビルの3階の○○に居るから」
私はA氏に言われた通りに
その場所に向かう。
店に入るとそこは小さなスナックで
A氏はカウンターに一人で座っていた。
彼は比較的酔っぱらっており
いつもよりよく喋る。
「若い頃に借金してそれを返すために
悪いことをしてムショに入っていた」
私が一杯目のビールを飲み干す前に
そう打ち明けてきたが、さして
あまり驚かなかった。
その理由はA氏がどことなくそういう
雰囲気を漂わせていたからだ。
例えるならばとんぼの英二。
だが、ムショを出てからは急に金回りが
良くなり、今では仕事をしながら趣味で
パチンコ・パチスロを打っており
家は高層マンションに住んでいるという。
それも全てコンチⅢのおかげ。
本当か嘘かはわからないが
彼は1号機から4号機中期までパチプロとして
喰っており、コンチの攻略法で半年で
〇千万も勝っていたのだ。
この頃は他にも同じくらいの年齢の
パチプロに知り合いが居たのだが
彼もこの手の自慢話をしてきたので
半信半疑だったが、A氏が言うことには
どこか信ぴょう性がある。
実際にその日は店を出た後に
さらにもう一軒高級クラブに
連れて行ってもらい、高い酒を
たらふく飲ませてもらった。
この日は結局朝まで飲み歩き
おそらく数十万使っていたと思う。
それからというもの月に2~3度
A氏から誘われ酒を飲むようになっていた。
特に騒ぐわけでもなく、静かに飲み
ただ金を使う。
男から見ても格好よかった。
まさに彼は英二である。

ただ飲みに連れて行ってもらう度に
コンチで稼いだ金などもうとっくに
無くなっているはずなのに何故
こんなに金回りがいいのかは疑問だったが
何か仕事で稼いでいるのだろうと思い
特に気にしてもいなかった。
※仕事のことを聞いてもいつも濁された。
・・・そしてパチスロは爆裂AT機時代へ
突入。
気が付けばA氏とも飲みに行かなくなり
私もパチプロとして毎日フル稼働。
※連絡が来なくなった。
こうしてすっかりA氏のことは
忘れてかけていたのだが
しばらくしてオープンした某店で
元ジグマしていた店の常連にバッタリ遭遇。
話を聞くところによるとA氏は詐欺で捕まり
刑務所に逆戻りしたようだ。
※詐欺の常習犯だった。
彼は英二ではない。
ただの詐欺野郎だったのである。
この機種は登場してしばらくしてから
新宿のグリンピースで打ったのが最初だ。
個人的にユニバのドデカ7が好きで
且つ当時としては他メーカーよりも
操作性が良く、初打ちの時は
既に4号機が登場していたが
何の違和感もなく打てた。
当時の人気機種ということで
4号機時代に突入してからこそ
影を潜めたものの、2004年に
みなし機として撤去されるまで
長い間ホールに設置されていた。
【ムショ上がりのパチプロ】
私がその男A氏と知り合ったのは
1990年代後半のこと。
時代は4号機技術介入機時代であり
目押しさえできれば勝てた時代である。
彼は私がジグマとして喰っていた某店に
オープンから数か月経ってから
顔を見せるようになった。
「今日は何打つんだ?」
そういきなり話しかけてきたのは
並びの最中。

©アルゼ
私は狙い台のグランシェルを打つことを
伝えると、その男はそうかと一言頷き
それから再び競馬新聞に目をやる。
彼は他のどの常連とも話しをするところを
見たことがなかったが、私はそれ以来
店で会うとたまに話すようになった。
推定30代後半のA氏は痩せ型で
ノーネクタイのスーツに、黒い
サングラスを掛けており、いつも
ギンパラを打っていたが
たまにアステカなども打ったりしていた。
風貌は如何にも怪しいのだが、話をすると
意外にも、もの静かで話し方も柔らかい。
それから約1年。
連絡先を交換するまでになり
某店が閉店してからもたまに
飯を食いに行く仲になっていた。
そんなある日、夜中に急に呼び出され
飲みに誘われたのは2000年末のこと。
たしかその日は大ハナビで大勝ちして
気分もよかったので誘いに乗ることにした。
「某ビルの3階の○○に居るから」
私はA氏に言われた通りに
その場所に向かう。
店に入るとそこは小さなスナックで
A氏はカウンターに一人で座っていた。
彼は比較的酔っぱらっており
いつもよりよく喋る。
「若い頃に借金してそれを返すために
悪いことをしてムショに入っていた」
私が一杯目のビールを飲み干す前に
そう打ち明けてきたが、さして
あまり驚かなかった。
その理由はA氏がどことなくそういう
雰囲気を漂わせていたからだ。
例えるならばとんぼの英二。
だが、ムショを出てからは急に金回りが
良くなり、今では仕事をしながら趣味で
パチンコ・パチスロを打っており
家は高層マンションに住んでいるという。
それも全てコンチⅢのおかげ。
本当か嘘かはわからないが
彼は1号機から4号機中期までパチプロとして
喰っており、コンチの攻略法で半年で
〇千万も勝っていたのだ。
この頃は他にも同じくらいの年齢の
パチプロに知り合いが居たのだが
彼もこの手の自慢話をしてきたので
半信半疑だったが、A氏が言うことには
どこか信ぴょう性がある。
実際にその日は店を出た後に
さらにもう一軒高級クラブに
連れて行ってもらい、高い酒を
たらふく飲ませてもらった。
この日は結局朝まで飲み歩き
おそらく数十万使っていたと思う。
それからというもの月に2~3度
A氏から誘われ酒を飲むようになっていた。
特に騒ぐわけでもなく、静かに飲み
ただ金を使う。
男から見ても格好よかった。
まさに彼は英二である。

ただ飲みに連れて行ってもらう度に
コンチで稼いだ金などもうとっくに
無くなっているはずなのに何故
こんなに金回りがいいのかは疑問だったが
何か仕事で稼いでいるのだろうと思い
特に気にしてもいなかった。
※仕事のことを聞いてもいつも濁された。
・・・そしてパチスロは爆裂AT機時代へ
突入。
気が付けばA氏とも飲みに行かなくなり
私もパチプロとして毎日フル稼働。
※連絡が来なくなった。
こうしてすっかりA氏のことは
忘れてかけていたのだが
しばらくしてオープンした某店で
元ジグマしていた店の常連にバッタリ遭遇。
話を聞くところによるとA氏は詐欺で捕まり
刑務所に逆戻りしたようだ。
※詐欺の常習犯だった。
彼は英二ではない。
ただの詐欺野郎だったのである。
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