1990年代のパチンコ屋!バブル時代に流行った古いパチ屋と換金所に居た野良猫。
- 2019/04/21
- 10:51
■1990年代
パチンコは爆裂連チャン機『CR花満開』が
大ヒットを記録していた中、パチスロは
4号機時代へ突入していた。
4号機第一弾機種は有名な
『チェリーバー』であるが、スペックは辛く
まだまだミスターマジックなどの3号機裏モノが
流行っていた。
1992年パチスロ!ズルスベり!3号機の裏モノ『ミスターマジック』の思い出。

©サミー
その後、当時の歴代最高セールスとなる
ニューパルサーの大ヒットにより
4号機はパチスロ界でそれまでにないほど
盛り上がりを見せ始めていた。
※ニューパルの販売台数はその後
北斗の拳に塗り替えられる。
その後しばらくはニューパルサーの
一人勝ち状態が続いたが、1995年。
クランキーコンドルの登場により
パチスロは技術介入機時代へ
突入することになる。
【思い出】
私が初めてパチンコ屋に入ったのは
4号機初期の頃だが、当時は兄貴にもらった金で
パチンコしか打っていなかったため
何の機種があったのかまでは覚えていない。
※ニューパルは既にあったと思う。
最初に打ったパチスロは1995年に登場した
4号機アラジンマスターで、時期的には
ちょうどコンドルが設置され始めた頃である。
アラジンマスターはご存知アラジンシリーズ
4号機第一弾であり、私が少ない軍資金で
よく遊びに行っていたC店にあった機種である。
1995年パチスロ!パチンコ屋で初めてビッグボーナス(スリーセブン)を揃えた日。

C店は商店街の一角にある小さなパチンコ屋。
営業はかなり古く、私が生まれた時には
既にあった昭和のレトロ店で、80年代の
バブル時代は大盛況だったようである。

記憶が正しければ私が一番最初に入った
パチンコ屋なのだが、この近くにはもう一軒
パーラーシンセイ?シンコウ?という店があった。
こちらも似たような造りの店だったが
シンセイはさらに古く、今にも崩れ落ちそうな
建物で、もしかするとこっちが
パチンコデビューだったかもしれない。
ともかく、C店は当時私が住んでいたところから
車で5分のところにある近所。
商店街には他に妙に匂いのキツイ八百屋や
若者のたまり場だったティガーと呼ばれる
小さなゲームセンター、そしてC店のすぐ
横には一杯300円の激安ラーメン屋があった。
兄貴が休みになると、朝一から一緒にC店に
足を運ぶ。
店の外にはいつも常連が10数人ほど並んでおり
私達は最後尾から一斉入場。
私は平台を打ち、兄貴は爆裂機を打つのが
ルーティーンである。
で、この店は換金所がカウンター横の奥にあるのだが
夏は奥の扉がいつも開いていた。
そのため、たまに店内に野良猫が
入ってくるのだ。
私が打っていた平台は一番奥の島にあって
客が少ない時は猫の鳴き声がしょっちゅう
聞こえるのである。
※ヘブンブリッジか玉ちゃんファイトか
何かだと思う。
この猫は換金所の婆さんが餌付けしていて
いつも換金所の横にある狭い路地に
座っているのだが、私も換金した後は
余り景品のお菓子をよくあげていた
ものである。

・・・それから数か月経った翌年の1996年。
兄貴が仕事で地方に引っ越したため
その後数か月ほどパチ屋からは遠ざかっていたが
パチスロの攻略誌を読んでいるうちに
一人で通うようになっていた。
1996年と言えば、技術介入機ブームの
火付け役となるコンドルが人気だった年で
他メーカーからも技術介入機が次々に
登場していった時期である。
この頃はC店のある商店街は高齢化や
街の発展により次々に閉店していった。
同時にC店も経営が厳しかったのだろう。
コンドルやタコスロなどの技術介入機の島には
変則押し禁止の張り紙が貼られ、客は
この頃から徐々に少なくなっていった。
換金所の横にあった路地は整備され
全面がアスファルトになり、いつの間にか
野良猫も居なくなっていた。
・・・あれから20数年。
この商店街にあったC店とゲームセンターは
既に閉店しているものの、一杯300円の
ラーメン屋は未だに営業している。
※今は一杯300円のラーメンは
メニューから無くなっているが、個人的に
好きな店なのでたまに食べに行く。
先日そのラーメン屋に行った帰りに
C店があった空きテナントを通ると
狭い路地にちょこんと座っている
白猫を発見した。
年齢的に、あの頃に見た猫ではないが
20年経っても尚、こんな風情が残っている光景に
私は少しニヤリとして、店を後にした。
私が初めてパチンコ屋に入ったのは
4号機初期の頃だが、当時は兄貴にもらった金で
パチンコしか打っていなかったため
何の機種があったのかまでは覚えていない。
※ニューパルは既にあったと思う。
最初に打ったパチスロは1995年に登場した
4号機アラジンマスターで、時期的には
ちょうどコンドルが設置され始めた頃である。
アラジンマスターはご存知アラジンシリーズ
4号機第一弾であり、私が少ない軍資金で
よく遊びに行っていたC店にあった機種である。
1995年パチスロ!パチンコ屋で初めてビッグボーナス(スリーセブン)を揃えた日。

C店は商店街の一角にある小さなパチンコ屋。
営業はかなり古く、私が生まれた時には
既にあった昭和のレトロ店で、80年代の
バブル時代は大盛況だったようである。

記憶が正しければ私が一番最初に入った
パチンコ屋なのだが、この近くにはもう一軒
パーラーシンセイ?シンコウ?という店があった。
こちらも似たような造りの店だったが
シンセイはさらに古く、今にも崩れ落ちそうな
建物で、もしかするとこっちが
パチンコデビューだったかもしれない。
ともかく、C店は当時私が住んでいたところから
車で5分のところにある近所。
商店街には他に妙に匂いのキツイ八百屋や
若者のたまり場だったティガーと呼ばれる
小さなゲームセンター、そしてC店のすぐ
横には一杯300円の激安ラーメン屋があった。
兄貴が休みになると、朝一から一緒にC店に
足を運ぶ。
店の外にはいつも常連が10数人ほど並んでおり
私達は最後尾から一斉入場。
私は平台を打ち、兄貴は爆裂機を打つのが
ルーティーンである。
で、この店は換金所がカウンター横の奥にあるのだが
夏は奥の扉がいつも開いていた。
そのため、たまに店内に野良猫が
入ってくるのだ。
私が打っていた平台は一番奥の島にあって
客が少ない時は猫の鳴き声がしょっちゅう
聞こえるのである。
※ヘブンブリッジか玉ちゃんファイトか
何かだと思う。
この猫は換金所の婆さんが餌付けしていて
いつも換金所の横にある狭い路地に
座っているのだが、私も換金した後は
余り景品のお菓子をよくあげていた
ものである。

・・・それから数か月経った翌年の1996年。
兄貴が仕事で地方に引っ越したため
その後数か月ほどパチ屋からは遠ざかっていたが
パチスロの攻略誌を読んでいるうちに
一人で通うようになっていた。
1996年と言えば、技術介入機ブームの
火付け役となるコンドルが人気だった年で
他メーカーからも技術介入機が次々に
登場していった時期である。
この頃はC店のある商店街は高齢化や
街の発展により次々に閉店していった。
同時にC店も経営が厳しかったのだろう。
コンドルやタコスロなどの技術介入機の島には
変則押し禁止の張り紙が貼られ、客は
この頃から徐々に少なくなっていった。
換金所の横にあった路地は整備され
全面がアスファルトになり、いつの間にか
野良猫も居なくなっていた。
・・・あれから20数年。
この商店街にあったC店とゲームセンターは
既に閉店しているものの、一杯300円の
ラーメン屋は未だに営業している。
※今は一杯300円のラーメンは
メニューから無くなっているが、個人的に
好きな店なのでたまに食べに行く。
先日そのラーメン屋に行った帰りに
C店があった空きテナントを通ると
狭い路地にちょこんと座っている
白猫を発見した。
年齢的に、あの頃に見た猫ではないが
20年経っても尚、こんな風情が残っている光景に
私は少しニヤリとして、店を後にした。
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