1999年パチスロ!『キングシャーク2』パチ屋の女店長と付き合って設定買収?サクラプロの末路。
- 2019/04/22
- 10:49
■1999年頃
パチスロ業界が盛り上がり始めていたこの年。
技術介入系Aタイプの他に、大量獲得機なども
チラホラ登場していた中で
2月にはオリンピアからサメをモチーフにした
マイナー機が登場する。
その名も『キングシャーク2』

©オリンピア

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/273 | 1/655 |
設定2 | 1/260 | 1/655 |
設定3 | 1/252 | 1/655 |
設定4 | 1/240 | 1/655 |
設定5 | 1/240 | 1/528 |
設定6 | 1/240 | 1/431 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 97,0% |
設定2 | 99,0% |
設定3 | 101,0% |
設定4 | 103,5% |
設定5 | 106,0% |
設定6 | 112,0% |
【基本仕様】
本機は見た目がジュークボックス型の新筐体で
A400タイプマシン。
平和の第一弾パチスロであるスノーキーの
兄弟機でもある。
パチスロ名機物語外伝15~平和パチスロの歴史、思い出の第一弾機種とは?~
当時オリンピア系列のAタイプは
技術介入要素が高く、且つ難易度も
高めな機種が多かったが、この機種は
スノーキー同様、ビッグ中は小役の完全ナビに
加え、簡単ハズシだったため
初心者にも受け入れられた。
尚、通常時は減算値が存在するものの
小役の高低差が小さいため、小役狙いは
非常に効果があった。
ただ人気はいま一つ。
同時期に登場したスノーキーこそ
それなりには売れたものの、このキングシャークに
関しては設置もあまり伸びずに消えていった
機種である。
【思い出】
1998年末にリニューアルオープンした田舎にある
小さなA店。
それは圧倒的な出玉で、他店を寄せ付けないほど。
私もオープン当初はよく打ちに行っていたが
元々常連色の強い店で、知人も
居なかったが、そこで知り合った30代後半の
一人の男。
仮名高山。
当時知り合ったプロは沢山居るが、彼は
その中でも腕の立つパチプロで
且つ某攻略グループの一員でもあり
少し危険な世界にも足を踏み入れていた
男だった。
「今日は何打つんですか?」
最初に彼に話しかけたのは私の方から
だった。
彼はいつもA店で先頭の方に並び
ビーマックスやアステカをメインに
打っているのは知っていたが
いつも出していたし、仲良くなっていた方が
得だと思い、敢えてそう質問した。
「今日はアステカかな」
彼は先頭で並び、私はその後ろ。
開店までの時間、彼と談笑し、普段は
A店以外の店ではどこで打っているか等々
色んな情報が聞けた。
その日はお互いに閉店まで打ち切り
私はバーサスか何かで設定4以上を掴み
それなりに出たので、帰りに彼にコーヒーを
差し入れし、帰宅。
それ以来、彼とはA店で顔を合わせる度に
仲良くなっていった。
・・・そんなある日。
私がいつものようにA店で打っていると
彼が話しかけてきた。
「明日ある店で設定6が打てるんだけど
良かったら一緒に行かない?」
当時はあまりメジャーではなかったが
今で言う乗り打ちに誘われたのだ。
本当かどうかは知らないが、私は
A店の出玉も芳しくなくなってきた頃だったので
もちろん快諾。
で、その店と機種は翌日まで教えては
くれなかったが、当日の朝、彼から
電話があり、話を聞くと機種は
オリンピアのキングシャークだった。
この台は台枠のアーチランプが全て点灯すると
デジタルが回り、2ケタの数字が表示されるのだが
この数字が高いほど熱く、ボーナスが成立していれば
次ゲームで告知される。
もちろんリーチ目も存在したが、あまり
覚えていない。
で、このキングシャーク。
新台から既に数か月が経過しており
さらにスペック的にはそこまででもない。
とは言え、朝一から設定6が打てるのだから
悪くはない。
しかももし設定6(出なかったら)じゃなかったら
投資分を全部返してくれるとのことだった。
そういう好条件の元、私の家の近くの公園で
待ち合わせをして、彼の車で一緒に
行くことにした。
店はA店より狭く、外観も古いB店だった。

住宅街にひっそりと建てられた店で
私は今まで行ったことがなく、寧ろ
こんな場所にパチンコ屋があったこと自体
驚いていた。
正直こんな店で本当に6が打てるのか
心配である。
しばらくして店に到着し、並びに参加するが
案の定誰も居ない。
不安になりつつも無事に二人共
狙い台を確保。
・・・これが文句無しの設定6挙動で
終始出っぱなし。
高山も同じような出玉の山を築いており
閉店。
この日の夜は高山が行きたいと言う
某焼肉屋へ向かう。
収支は二人合わせて15万ほどの勝ちだったので
取り分はその半分だったのだが、彼が突如
口を開く。
「実は主任に設定聞いたんだよ」
彼はこのB店に通ううちに主任と仲良くなり
よく一緒に飲んでいたらしいのだが
酒の席でつい設定について口を
滑らせたそうだ。
※この主任はその後店長?に就任したらしい。
私は特に行かない店だし、気にしなかったのだが
問題はその後。
主任は設定を教える代わりに二人の勝ちの
3割をよこせというのが条件だという。
ただし店長には内緒なので、絶対に
バレないようにということだった。
通りで稼働中、一切話しかけてこなかったと
思ったらこういうことだったのである。
・・・で、間もなくして、主任到着。

この時知ったのだが、主任は男ではなく
30代?の女だった。
高山が彼女に金を渡す。
少し納得はいかなかったが、それでも
ただ指定された台を閉店まで打つだけで
5万も手に入ったのだから文句はない。
そして高山と女主任は酒に酔ったのか
これまでのサクラ行為を次々に暴露し始めた。
打った機種はジャグラー、コンドル、サンダー
ハナビ、アステカ等だったらしい。
元々高設定をあまり入れられない店なので
毎日ではないが、月に数回はこういうことを
二人でやっていたようだ。
平打ちでも十分日当を得ていたはずの彼が
何故わざわざ危険を冒してまでサクラをしていたかは
未だに疑問だが、おそらくは確実性を
選んだのだろう。
※今考えると高山と主任はおそらく
デキていた。
で、その後も高山から何度かサクラに
誘われたのだが、どうも嫌な予感がして
全て断り、私はいつものA店で打つ
日常に戻っていた。
・・・結局このB店は2004年頃に経営不振で
閉店。
私はA店の状況も悪くなったため
2000年頃には既に行かなくなり、それまで
たまに来ていた高山とも会わなくなっていた。
※サクラ行為を知ってからは、あまり
付き合わなくなっていた。
あれから十数年。
高山が加入していた攻略グループは
解散したのだが、その中で私が
仲良くしていた一人から話を聞いた。
彼はあの後も設定を買い続け
今は塀の向こうで頑張っているそうである。
1998年末にリニューアルオープンした田舎にある
小さなA店。
それは圧倒的な出玉で、他店を寄せ付けないほど。
私もオープン当初はよく打ちに行っていたが
元々常連色の強い店で、知人も
居なかったが、そこで知り合った30代後半の
一人の男。
仮名高山。
当時知り合ったプロは沢山居るが、彼は
その中でも腕の立つパチプロで
且つ某攻略グループの一員でもあり
少し危険な世界にも足を踏み入れていた
男だった。
「今日は何打つんですか?」
最初に彼に話しかけたのは私の方から
だった。
彼はいつもA店で先頭の方に並び
ビーマックスやアステカをメインに
打っているのは知っていたが
いつも出していたし、仲良くなっていた方が
得だと思い、敢えてそう質問した。
「今日はアステカかな」
彼は先頭で並び、私はその後ろ。
開店までの時間、彼と談笑し、普段は
A店以外の店ではどこで打っているか等々
色んな情報が聞けた。
その日はお互いに閉店まで打ち切り
私はバーサスか何かで設定4以上を掴み
それなりに出たので、帰りに彼にコーヒーを
差し入れし、帰宅。
それ以来、彼とはA店で顔を合わせる度に
仲良くなっていった。
・・・そんなある日。
私がいつものようにA店で打っていると
彼が話しかけてきた。
「明日ある店で設定6が打てるんだけど
良かったら一緒に行かない?」
当時はあまりメジャーではなかったが
今で言う乗り打ちに誘われたのだ。
本当かどうかは知らないが、私は
A店の出玉も芳しくなくなってきた頃だったので
もちろん快諾。
で、その店と機種は翌日まで教えては
くれなかったが、当日の朝、彼から
電話があり、話を聞くと機種は
オリンピアのキングシャークだった。
この台は台枠のアーチランプが全て点灯すると
デジタルが回り、2ケタの数字が表示されるのだが
この数字が高いほど熱く、ボーナスが成立していれば
次ゲームで告知される。
もちろんリーチ目も存在したが、あまり
覚えていない。
で、このキングシャーク。
新台から既に数か月が経過しており
さらにスペック的にはそこまででもない。
とは言え、朝一から設定6が打てるのだから
悪くはない。
しかももし設定6(出なかったら)じゃなかったら
投資分を全部返してくれるとのことだった。
そういう好条件の元、私の家の近くの公園で
待ち合わせをして、彼の車で一緒に
行くことにした。
店はA店より狭く、外観も古いB店だった。

住宅街にひっそりと建てられた店で
私は今まで行ったことがなく、寧ろ
こんな場所にパチンコ屋があったこと自体
驚いていた。
正直こんな店で本当に6が打てるのか
心配である。
しばらくして店に到着し、並びに参加するが
案の定誰も居ない。
不安になりつつも無事に二人共
狙い台を確保。
・・・これが文句無しの設定6挙動で
終始出っぱなし。
高山も同じような出玉の山を築いており
閉店。
この日の夜は高山が行きたいと言う
某焼肉屋へ向かう。
収支は二人合わせて15万ほどの勝ちだったので
取り分はその半分だったのだが、彼が突如
口を開く。
「実は主任に設定聞いたんだよ」
彼はこのB店に通ううちに主任と仲良くなり
よく一緒に飲んでいたらしいのだが
酒の席でつい設定について口を
滑らせたそうだ。
※この主任はその後店長?に就任したらしい。
私は特に行かない店だし、気にしなかったのだが
問題はその後。
主任は設定を教える代わりに二人の勝ちの
3割をよこせというのが条件だという。
ただし店長には内緒なので、絶対に
バレないようにということだった。
通りで稼働中、一切話しかけてこなかったと
思ったらこういうことだったのである。
・・・で、間もなくして、主任到着。

この時知ったのだが、主任は男ではなく
30代?の女だった。
高山が彼女に金を渡す。
少し納得はいかなかったが、それでも
ただ指定された台を閉店まで打つだけで
5万も手に入ったのだから文句はない。
そして高山と女主任は酒に酔ったのか
これまでのサクラ行為を次々に暴露し始めた。
打った機種はジャグラー、コンドル、サンダー
ハナビ、アステカ等だったらしい。
元々高設定をあまり入れられない店なので
毎日ではないが、月に数回はこういうことを
二人でやっていたようだ。
平打ちでも十分日当を得ていたはずの彼が
何故わざわざ危険を冒してまでサクラをしていたかは
未だに疑問だが、おそらくは確実性を
選んだのだろう。
※今考えると高山と主任はおそらく
デキていた。
で、その後も高山から何度かサクラに
誘われたのだが、どうも嫌な予感がして
全て断り、私はいつものA店で打つ
日常に戻っていた。
・・・結局このB店は2004年頃に経営不振で
閉店。
私はA店の状況も悪くなったため
2000年頃には既に行かなくなり、それまで
たまに来ていた高山とも会わなくなっていた。
※サクラ行為を知ってからは、あまり
付き合わなくなっていた。
あれから十数年。
高山が加入していた攻略グループは
解散したのだが、その中で私が
仲良くしていた一人から話を聞いた。
彼はあの後も設定を買い続け
今は塀の向こうで頑張っているそうである。
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