1999年パチスロ!山佐の最初で最後の爆裂CT機『ピンクパンサー3』の新装で絡まれたチンピラと運命の再開。
- 2019/05/05
- 14:10
■1999年頃
1995年、初のタイアップマシンとして
山佐からデビューした『ピンクパンサー』は
ニューパルサーにこそ及ばなかったものの
大量リーチ目マシンとして人気機種の
仲間入りを果たしていた。
1995年パチスロ!パチスロのタイアップ機第一弾『ピンクパンサー』の思い出。
それから4年後の1999年3月。
待望の後継機がCT機として登場する。
その名も『ピンクパンサー3』

PINK PANTHER and
associated marks and characters
TM&©1999 United Artists Corporatin.
All rights reserved.
©山佐

設定 | ビッグ |
設定1 | 1/260,06 |
設定2 | 1/234,05 |
設定3 | 1/210,05 |
設定4 | 1/188,32 |
設定5 | 1/168,90 |
設定6 | 1/147,60 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 100,13% |
設定2 | 105,93% |
設定3 | 112,53% |
設定4 | 119,91% |
設定5 | 128,05% |
設定6 | 139,37% |
【基本仕様】
後の大ヒット機種であるアステカと
同時期に登場した本機は山佐唯一の
B+CT機。
昨年に登場したウルトラマン倶楽部3は
設定6がエクストラスペックだったことから
約3万台のヒット機種だったために
それ以降のCT機は設定6のみ
飛びぬけたスペックだった機種が多かった。
※ちなみにCT機の初登場はネットの
クロスCTだが、マンクラの方が
ホールデビューは早く、厳密には
マンクラがCT機第一弾である。
もちろん今回紹介するピンクパンサー3や
アステカもウルクラ3に引けを劣らない
激甘スペックであった。
技術介入性はそこまで高くはなかったものの
この機種には小役カウンターが付いておらず
それなりに小役狙いに効果があった。
ただし、やはり同時期に登場したアステカに
人気を取られてしまい、悲しくもそれほど
設置が伸びることがないまま
消えていった台である。
【思い出】
当時の私は同時期に登場したアステカばかり
打っており、ピンクパンサー3には
あまり興味がなかった。
というのも設置もアステカが圧倒しており
打つ機会もなかったのである。
・・・で、登場からしばらく経った
1999年末頃。
パチスロ業界は大花火の登場によって
大量獲得機ブームが訪れようとしていた。
そんな中、某D店が新装オープンすると
聞いて行くことにした。
同時に不定期開催のメーカー括りのイベントを
開催するようで行かない手はないだろう。
この時の対象メーカーは山佐。
山佐祭りと銘打たれたこのイベントは
文字通り山佐の機種が熱く、必ず設定6が
入り、対象機種は夜に設定公開を行う。
というわけでD店の並びに早朝から参加。
狙いはスペックの甘いピンクパンサー3だ。
並びは数十人だったが、一斉入場なので
十分私にも台確保のチャンスはある。
・・・でオープン。

一斉に店内になだれ込む客達。
皆ニューパルやピンクパンサーなどの
山佐機種が一瞬にして埋まっていく。
私は裏の島から猛ダッシュでピンパンの島に
向かい、一番奥の居心地の良い角台を確保
しようとした瞬間・・・
「それ俺やるから」
コンマ0,3秒の差で、アロハシャツで
頭がハゲがかっていてヒゲが綺麗に手入れされた
30代後半のチンピラに取られ、揉めるのも
面倒だと思い、残り一台しかない
ハゲチンピラの隣の台に着席。
※ハゲチンピラはD店の常連で
いつも裏モノを打っていた。
よりによって癖の強そうなハゲチンピラの隣
ということで、かなり嫌だったが、ピンパンの
設定6が打てるチャンスはこれを逃したら
二度とやってこない。
そう思い、ハゲチンピラの隣で
打つことにした。
・・・これが朝から猛爆して
昼過ぎには3000枚程の出玉をゲット。
ピンパンは通常時は上にチェリーの付いた
青7を狙う。
ここからは条件付きだが、上段青テンや右下がり
青7テンパイ+枠下赤ダイヤなどの
コンドル目を拝めることができて
面白かった。
そんな感じで楽しみながら打つこと
数時間。
私の台は3000枚をピークに
長い現状維持モードに突入。
おそらく設定6はないだろう。
ちなみに隣のハゲチンピラの台は
クソハマリの連続でどう考えても低設定で
ご臨終。
※何故か延々に粘っていたが。
・・・そして夕方の設定発表の時間。
固唾をのんで店員の動きを見守っていると
残念ながら私の台には札が刺さらず。
やはり設定は4なのだろう。
※札は設定56のみ。
で、気になる設定6は・・・
まさかのハゲチンピラの台にデカデカと
設定6と書かれた札が刺さる。

その時のハゲチンピラの台のビッグ出現率は
1/300くらいだったと記憶しており
ハゲチンピラも真っ青。
終始咥えタバコで貧乏ゆすりのハゲチンピラは
自分の台が設定6だとわかると
アメリカ人のようなオーバーリアクションをし
聞いたこともないような奇声を発して
どこかへ消えて行った。
私はその後推定設定4のピンパンを終日打ち切り
3000枚程度のコインを獲得したが
横のハゲチンピラの台は、その後も
一向に出ることはなく、おそらく
マイナスで終わっていたと思う。
※設定公開はなかったので
ガセだった可能性もあるが
イベントの信頼度は高かった。
結局ハゲチンピラは閉店まで
顔を真っ赤にしてぶん回していたが
ドル箱を使うことは一度もなかった。
で、もうすぐ閉店ということで
私がハゲチンピラよりも少し前に
ヤメようとしたところ・・・
「兄ちゃん△※×◎〇・・・」
何かブーブーと文句みたいなことを
言っていたのだが、全く聞き取れなかったので
適当に無視して帰宅。
ピンパンはこれ以来打つ機会がなく
撤去されてしまったが、この日の出来事から
約20年。
裏モノは無くなり、かつての活気溢れていた
面影が一切無くなったD店は、今や爺さん婆さんの
憩いの場と化している。
先日そんなD店にパチンコの様子を
見に行こうと覗いてみると・・・
頭が完全にハゲたハゲチンピラが
まだ居座っていた。
アイムジャグラーを打ちながら、常連の
爺さん婆さんとにこやかな表情で話す
ハゲチンピラは当時とはまるで別人で
穏やかだった。
年月は経つ度にパチスロをダメにしているが
人は丸くするのである。
当時の私は同時期に登場したアステカばかり
打っており、ピンクパンサー3には
あまり興味がなかった。
というのも設置もアステカが圧倒しており
打つ機会もなかったのである。
・・・で、登場からしばらく経った
1999年末頃。
パチスロ業界は大花火の登場によって
大量獲得機ブームが訪れようとしていた。
そんな中、某D店が新装オープンすると
聞いて行くことにした。
同時に不定期開催のメーカー括りのイベントを
開催するようで行かない手はないだろう。
この時の対象メーカーは山佐。
山佐祭りと銘打たれたこのイベントは
文字通り山佐の機種が熱く、必ず設定6が
入り、対象機種は夜に設定公開を行う。
というわけでD店の並びに早朝から参加。
狙いはスペックの甘いピンクパンサー3だ。
並びは数十人だったが、一斉入場なので
十分私にも台確保のチャンスはある。
・・・でオープン。

一斉に店内になだれ込む客達。
皆ニューパルやピンクパンサーなどの
山佐機種が一瞬にして埋まっていく。
私は裏の島から猛ダッシュでピンパンの島に
向かい、一番奥の居心地の良い角台を確保
しようとした瞬間・・・
「それ俺やるから」
コンマ0,3秒の差で、アロハシャツで
頭がハゲがかっていてヒゲが綺麗に手入れされた
30代後半のチンピラに取られ、揉めるのも
面倒だと思い、残り一台しかない
ハゲチンピラの隣の台に着席。
※ハゲチンピラはD店の常連で
いつも裏モノを打っていた。
よりによって癖の強そうなハゲチンピラの隣
ということで、かなり嫌だったが、ピンパンの
設定6が打てるチャンスはこれを逃したら
二度とやってこない。
そう思い、ハゲチンピラの隣で
打つことにした。
・・・これが朝から猛爆して
昼過ぎには3000枚程の出玉をゲット。
ピンパンは通常時は上にチェリーの付いた
青7を狙う。
ここからは条件付きだが、上段青テンや右下がり
青7テンパイ+枠下赤ダイヤなどの
コンドル目を拝めることができて
面白かった。
そんな感じで楽しみながら打つこと
数時間。
私の台は3000枚をピークに
長い現状維持モードに突入。
おそらく設定6はないだろう。
ちなみに隣のハゲチンピラの台は
クソハマリの連続でどう考えても低設定で
ご臨終。
※何故か延々に粘っていたが。
・・・そして夕方の設定発表の時間。
固唾をのんで店員の動きを見守っていると
残念ながら私の台には札が刺さらず。
やはり設定は4なのだろう。
※札は設定56のみ。
で、気になる設定6は・・・
まさかのハゲチンピラの台にデカデカと
設定6と書かれた札が刺さる。

その時のハゲチンピラの台のビッグ出現率は
1/300くらいだったと記憶しており
ハゲチンピラも真っ青。
終始咥えタバコで貧乏ゆすりのハゲチンピラは
自分の台が設定6だとわかると
アメリカ人のようなオーバーリアクションをし
聞いたこともないような奇声を発して
どこかへ消えて行った。
私はその後推定設定4のピンパンを終日打ち切り
3000枚程度のコインを獲得したが
横のハゲチンピラの台は、その後も
一向に出ることはなく、おそらく
マイナスで終わっていたと思う。
※設定公開はなかったので
ガセだった可能性もあるが
イベントの信頼度は高かった。
結局ハゲチンピラは閉店まで
顔を真っ赤にしてぶん回していたが
ドル箱を使うことは一度もなかった。
で、もうすぐ閉店ということで
私がハゲチンピラよりも少し前に
ヤメようとしたところ・・・
「兄ちゃん△※×◎〇・・・」
何かブーブーと文句みたいなことを
言っていたのだが、全く聞き取れなかったので
適当に無視して帰宅。
ピンパンはこれ以来打つ機会がなく
撤去されてしまったが、この日の出来事から
約20年。
裏モノは無くなり、かつての活気溢れていた
面影が一切無くなったD店は、今や爺さん婆さんの
憩いの場と化している。
先日そんなD店にパチンコの様子を
見に行こうと覗いてみると・・・
頭が完全にハゲたハゲチンピラが
まだ居座っていた。
アイムジャグラーを打ちながら、常連の
爺さん婆さんとにこやかな表情で話す
ハゲチンピラは当時とはまるで別人で
穏やかだった。
年月は経つ度にパチスロをダメにしているが
人は丸くするのである。
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