スロプロの半生!会社を無断欠勤してパチンコ屋に行く男と運命を分けたパチスロ。
- 2019/07/07
- 16:05
■2003年頃
爆裂AT機の時代が終わり、ストック機が
ホールを席捲していたこの年。
当時付き合っていた彼女から仕事をしてほしいと
言われ、仕方なく就職した私だったが、僅か
3か月で辞めてしまう。
原因はもちろんパチスロ。
爆裂機の規制により、設定6の機械割が
格段に辛くなってしまった4,5号機だが
それでもまだまだオイシイ状況が続いていた。
この頃の立ち回りとして最もオイシかったのが
天井狙いなどのハイエナで、仕事をしている時も
仕事帰りに毎日パチ屋へ通っていた。

©大都技研

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/526,9 | 1/876,5 |
設定2 | 1/491,8 | 1/777,5 |
設定3 | 1/458,3 | 1/883,6 |
設定4 | 1/426,8 | 1/632,3 |
設定5 | 1/392,7 | 1/768,9 |
設定6 | 1/367,3 | 1/551,9 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 94,4% |
設定2 | 97,8% |
設定3 | 100,7% |
設定4 | 106,5% |
設定5 | 110,2% |
設定6 | 119,9% |
当ブログでも何度か紹介しているこの吉宗は
大量獲得機シェイクの後継機。
1ビッグ711枚の大量獲得ストック機で
若年層から年配層まで幅広く支持を受けた。
当時NO.1の人気機種でもあり、大都技研では
4号機最大のヒット機種だろう。
2003年パチスロ!711枚が1G連!大量獲得ストック機の名機『吉宗』で中段チェリーを引く。
【会社勤めを始めるもすぐに辞めた理由】
彼女に言われ、嫌々仕事を始めた私。
それでも仕事をしているうちに、これを機に真面目に
働いて結婚して身を固めるのも悪くはないと
思い始めていたし、可愛いオフィスガールも居たので
会社に行くことが少しだけ楽しくもあった。

・・・ただ、仕事帰りにパチスロを打ちながら
こうも思っていた。
簡単に稼げるパチスロ生活を引退してまで
安月給の仕事をするのは馬鹿馬鹿しい
勿体ないだろうと。
・・・そんなある日。
私はいつものように出社する道中
会社まで10メートルのところで足を止める。
そして気が付けば20分後、パチ屋でスーツ姿で
吉宗を打っていた。
足を止めてパチ屋に向かって動き出したその時の
私の感情は言葉では言い表せるのは難しいが
一言で言えば
「仕事なんてやってられるか馬鹿野郎」
である。
これが私の人生で2度目のターニングポイントと
言ってもいい。
※1度目はパチスロに出会った少年時代。
この時、彼女との将来を捨てたわけだが
私は前日設定6だった吉宗を打ちながら
開き直っていた。
リセットは掛かっていたが、これが見事
ケツリセ(128G~193G)で一発天国。
さらにキーン鳴りまくりに加えて、純ハズレも
引きまくりで設定6濃厚。

©大都技研
会社をサボった甲斐?があったというものだ。
とは言ってもこの時、一生パチスロで
喰っていこうと決心はしていなかった。
とにかく会社勤めをして家を買ってローンを組んで
定年退職まで・・・
そんな平凡な幸せが現実になることが
嫌だったのかもしれない。
パチスロがダメな方へ向かっていたことは
わかっていた。
この頃は既に5号機へ移行するという
話もあったので、これから辛くなっていくことは
明白だった。
あの時、私が足を止めず、会社に出勤していれば
間違いなく、今頃結婚して家庭を持っていただろう。
ただ会社を無断欠勤したその日、私は設定6の
吉宗で手に入れた勝ち金と自由を手に入れた。
平凡な幸せよりもパチスロを取ったのである。
そしてまたいつものパチスロ生活に戻っていった。
・・・それから10数年。
パチスロは5号機時代を経て6号機時代へ
突入した。
面白いし楽して勝てるからと始めたパチスロが
今ではつまらないし見返りの少ない
パチスロになった。
何かを犠牲にしなければならないこの稼業を
続けてきたのは、それなりに見返りが
多かったからだ。
だが、私にとって魅力的でなくなったパチスロを
打つ意味が無くなってしまった今、これ以上
続ける必要はない。
相変わらず自由ではあるものの
朝から酒。
昼も酒。
晩も酒。
これでは親よりも早くくたばるだろう。
かと言ってあの時足を止めてしまったことを
後悔しても、ジジイになった今はもう遅い。
それならば近い将来、合法化するカジノで
プロになり、8億ほど稼いで南の島で静かに
暮らすことにします。
彼女に言われ、嫌々仕事を始めた私。
それでも仕事をしているうちに、これを機に真面目に
働いて結婚して身を固めるのも悪くはないと
思い始めていたし、可愛いオフィスガールも居たので
会社に行くことが少しだけ楽しくもあった。

・・・ただ、仕事帰りにパチスロを打ちながら
こうも思っていた。
簡単に稼げるパチスロ生活を引退してまで
安月給の仕事をするのは馬鹿馬鹿しい
勿体ないだろうと。
・・・そんなある日。
私はいつものように出社する道中
会社まで10メートルのところで足を止める。
そして気が付けば20分後、パチ屋でスーツ姿で
吉宗を打っていた。
足を止めてパチ屋に向かって動き出したその時の
私の感情は言葉では言い表せるのは難しいが
一言で言えば
「仕事なんてやってられるか馬鹿野郎」
である。
これが私の人生で2度目のターニングポイントと
言ってもいい。
※1度目はパチスロに出会った少年時代。
この時、彼女との将来を捨てたわけだが
私は前日設定6だった吉宗を打ちながら
開き直っていた。
リセットは掛かっていたが、これが見事
ケツリセ(128G~193G)で一発天国。
さらにキーン鳴りまくりに加えて、純ハズレも
引きまくりで設定6濃厚。

©大都技研
会社をサボった甲斐?があったというものだ。
とは言ってもこの時、一生パチスロで
喰っていこうと決心はしていなかった。
とにかく会社勤めをして家を買ってローンを組んで
定年退職まで・・・
そんな平凡な幸せが現実になることが
嫌だったのかもしれない。
パチスロがダメな方へ向かっていたことは
わかっていた。
この頃は既に5号機へ移行するという
話もあったので、これから辛くなっていくことは
明白だった。
あの時、私が足を止めず、会社に出勤していれば
間違いなく、今頃結婚して家庭を持っていただろう。
ただ会社を無断欠勤したその日、私は設定6の
吉宗で手に入れた勝ち金と自由を手に入れた。
平凡な幸せよりもパチスロを取ったのである。
そしてまたいつものパチスロ生活に戻っていった。
・・・それから10数年。
パチスロは5号機時代を経て6号機時代へ
突入した。
面白いし楽して勝てるからと始めたパチスロが
今ではつまらないし見返りの少ない
パチスロになった。
何かを犠牲にしなければならないこの稼業を
続けてきたのは、それなりに見返りが
多かったからだ。
だが、私にとって魅力的でなくなったパチスロを
打つ意味が無くなってしまった今、これ以上
続ける必要はない。
相変わらず自由ではあるものの
朝から酒。
昼も酒。
晩も酒。
これでは親よりも早くくたばるだろう。
かと言ってあの時足を止めてしまったことを
後悔しても、ジジイになった今はもう遅い。
それならば近い将来、合法化するカジノで
プロになり、8億ほど稼いで南の島で静かに
暮らすことにします。