パチンコ史上一番出した爆裂連チャン機『CR大工の源さん』パチンコ黄金時代の思い出。
- 2019/09/20
- 19:44
■確変2回ループの連チャン機登場
1996年、パチンコ業界は30兆円を超える
巨大産業となっていた。
そんな中、この年の2月にはCR機の一大ブームを
引き起こす機種が三洋物産から登場する。
それが『CR大工の源さん』である。

©三洋物産
※大当たり確率
設定3:1/438,5(1/73,1)
設定2:1/405,5(1/73,5)
設定1:1/369,5(1/73,9)
()は確変中の確率
※確変突入率及び継続率
1/3(2回ループ)
※時短
確変終了後のみ100回まで
※大当たり図柄
確変・・・「3」「5」「7」「源さん」「ハッピ」
通常・・・12468
※大当たり出玉
約2300発
【基本仕様】
確変2回ループのCRデジパチ。
当時はこの2回ループのパチンコが多く
登場していたが、その中でもこの大工の源さんの
人気が圧倒的だった。
理由はやはりその爆発力にある。
花満開ほどではないものの、2300発出る
確変2回ループは、当時のプレイヤーを熱中させ
パチンコ中毒者も多く輩出してしまった機種である。
私のパチンコ最高出玉も源さんだ。
パチンコ・パチスロ歴代最高出玉ランキング&歴代最高勝ち額を公開!
そのため、源さんは社会的不適合機として
撤去されてしまう。
あの花満開と同じ運命を辿ることに
なったわけである。
パチスロ名機物語外伝5~伝説の爆裂連チャン機CR花満開~
そしてその後の規定変更により、CR機は
5回リミッターが義務付けられることになる。
ちなみに源さんシリーズはこれ以降
数多く登場しているが、いずれも
初代を超えるヒットには至っていない。
【オール設定1イベントで大爆裂!】
1998年末頃。
某地区に大型店Aがオープンしたわけだが
圧倒的な出玉感で、他店を寄せ付けない
ほどだった。

A店はパチスロが300台ほどあって
コンテスト、レッツ、ハナビ、ビーマックスなどの
ユニバ系の他、マンクラ、ビンビン神様など
裏モノはキングガルフ、パピードッグ
貯金方式のバルデビッグまであった。
パチンコはギンパラと今回紹介する
源さんが圧倒的台数を誇っており
私がCR機に金をジャブジャブ突っ込む
きっかけになった機種達である。
源さんはA店のパチスロでスカると
1万円勝負と称してちょくちょく打っていたのだが
やはり優良店だけあって、回る。
・・・とは言え、それで当たらなかったら
きっぱり帰っていたわけで、大負けした
記憶は一度も無い。
そして源さんで初の大当たりを引く日が
やってきた。
1999年某日。
A店のビーマックスか何かで負けた後
源さんの島に直行。
いつもより客付きが良く、皆ドル箱タワーを
積み上げており、全台お祭り騒ぎ。
それもそのはず、全台オール設定1という
イベントを行っていたのである。
※設定1の確率が最も良い。
これが本当かどうかは分からないが
私は特に気にせずに、1万円勝負と決めて
空き台に着席。
これは今でも忘れられない思い出だが
私は打ち出してすぐに飲み物を買いに行こうと
席を立った。
そしてコーヒー片手に席に戻ると・・・

なんと既に全回転リーチが発生している。
何せ初めて大当たりを引いたので、驚きを
隠せないまま見守っていると、さらに
「7」で停止して確変突入。
その瞬間、隣に座っていた婆さんに
良かったねえと肩をバンバン叩かれたことも
記憶に残っている。
で、これが一撃20連して一気に4万発超え。
その後もポコポコと初当たりを引き
最終的には6万発の出玉を獲得。
※ちなみに隣の婆さんは私が20連してから
一切話しかけてこなくなった。
夕方から打ち出したので時間にして
4~5時間程度だ。
これが私のパチンコ歴代最高獲得出玉
というわけである。
※3円交換。
正直パチンコ打ちからすれば大したことは
ないのだが、CR機はほとんど打たない
私からすればかなりオイシかった。
その後もA店にはちょくちょく打ちに行っていたが
源さんは前述通りの理由により、撤去。
元々CR機は好きではないし、当時は
パチスロばかり打っていたので、以後
私は現金機や平台をたまに打つくらいで
しばらくパチンコから遠ざかることになる。
で、その後のパチンコと言えば、ギンパラや
源さんに代わり、初代『CR海物語』がホールの
超人気機種として活躍するわけである。
・・・それと同時にパチ屋は昔のパチンコ屋から
アミューズメントパーラーに変貌を遂げていく。
携帯電話の普及によるネットの流通のせいで
勝てる情報が誰にでも得られてしまう時代に
なった2000年以降。
源さんのような爆裂機はしばらく登場しないものの
業界はかつてないほどの盛り上がりを魅せる。
だが、それに反して私のパチンコ・パチスロ熱は
少しずつ確実に冷めていった。
その理由はあの時代を駆け抜けた者には
分かるはずである。
1998年末頃。
某地区に大型店Aがオープンしたわけだが
圧倒的な出玉感で、他店を寄せ付けない
ほどだった。

A店はパチスロが300台ほどあって
コンテスト、レッツ、ハナビ、ビーマックスなどの
ユニバ系の他、マンクラ、ビンビン神様など
裏モノはキングガルフ、パピードッグ
貯金方式のバルデビッグまであった。
パチンコはギンパラと今回紹介する
源さんが圧倒的台数を誇っており
私がCR機に金をジャブジャブ突っ込む
きっかけになった機種達である。
源さんはA店のパチスロでスカると
1万円勝負と称してちょくちょく打っていたのだが
やはり優良店だけあって、回る。
・・・とは言え、それで当たらなかったら
きっぱり帰っていたわけで、大負けした
記憶は一度も無い。
そして源さんで初の大当たりを引く日が
やってきた。
1999年某日。
A店のビーマックスか何かで負けた後
源さんの島に直行。
いつもより客付きが良く、皆ドル箱タワーを
積み上げており、全台お祭り騒ぎ。
それもそのはず、全台オール設定1という
イベントを行っていたのである。
※設定1の確率が最も良い。
これが本当かどうかは分からないが
私は特に気にせずに、1万円勝負と決めて
空き台に着席。
これは今でも忘れられない思い出だが
私は打ち出してすぐに飲み物を買いに行こうと
席を立った。
そしてコーヒー片手に席に戻ると・・・

なんと既に全回転リーチが発生している。
何せ初めて大当たりを引いたので、驚きを
隠せないまま見守っていると、さらに
「7」で停止して確変突入。
その瞬間、隣に座っていた婆さんに
良かったねえと肩をバンバン叩かれたことも
記憶に残っている。
で、これが一撃20連して一気に4万発超え。
その後もポコポコと初当たりを引き
最終的には6万発の出玉を獲得。
※ちなみに隣の婆さんは私が20連してから
一切話しかけてこなくなった。
夕方から打ち出したので時間にして
4~5時間程度だ。
これが私のパチンコ歴代最高獲得出玉
というわけである。
※3円交換。
正直パチンコ打ちからすれば大したことは
ないのだが、CR機はほとんど打たない
私からすればかなりオイシかった。
その後もA店にはちょくちょく打ちに行っていたが
源さんは前述通りの理由により、撤去。
元々CR機は好きではないし、当時は
パチスロばかり打っていたので、以後
私は現金機や平台をたまに打つくらいで
しばらくパチンコから遠ざかることになる。
で、その後のパチンコと言えば、ギンパラや
源さんに代わり、初代『CR海物語』がホールの
超人気機種として活躍するわけである。
・・・それと同時にパチ屋は昔のパチンコ屋から
アミューズメントパーラーに変貌を遂げていく。
携帯電話の普及によるネットの流通のせいで
勝てる情報が誰にでも得られてしまう時代に
なった2000年以降。
源さんのような爆裂機はしばらく登場しないものの
業界はかつてないほどの盛り上がりを魅せる。
だが、それに反して私のパチンコ・パチスロ熱は
少しずつ確実に冷めていった。
その理由はあの時代を駆け抜けた者には
分かるはずである。
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