パチンコで最もヒット(売れた)した機種!初代『CR海物語』で同じ台に座り続ける婆さんと20年振りのパチンコ屋。
- 2019/11/06
- 18:55
■ギンパラがデジパチに!
1999年2月、三洋の人気機種だった
ギンギラパラダイスがCRデジパチになって
再登場する。
シリーズ化され、今もパチスロはジャグラーに
並ぶロングヒット機種の最初。
それが『CR海物語』である。

©三洋物産
※大当たり確率
1/321,5
※確変突入率
1/2
※リミッター
5回まで
【基本仕様】
本機はCR確変機。
当時のパチンコに多かったリミッター(5回)を
搭載していたが、変動の早さやギンパラで
お馴染みの演出を引き継いでおり、大ヒットを
記録。
海物語の元祖『CRギンギラパラダイス』の裏モノ設置店の主任との癒着が常連の爺さんにバレる。
同年の8月には海シリーズ最初で最後の
現金機も登場した。
※3と7で当たれば次回大当たりまでの
時短付き。
その後、リミッターは解除され
海物語は老若男女問わず受け入れられ、全国的に
大人気機種となるのである。
【パチスロ界は北斗、パチンコ界は海】
パチスロ界では初代『北斗の拳』が
最も売れた機種で、その数なんと62万台。
この記録はおそらく今後二度と塗り替えられる
ことはないだろう。
※ロングヒット機種はジャグラー。
ではパチンコ界ではどうかと言えば
もちろん海シリーズが最も売れた。
初代海はそこそこだったものの
その後2002年に登場した『新海物語』は
破竹の勢いでセールスを伸ばし続け
最終的には75万台もの販売台数を記録。
あの北斗を超えていたというわけだ。

©三洋物産
こうして三洋物産は一躍トップメーカーの
仲間入りを果たしたのである。
【某店の海常連の婆さん】
時は1999年冬頃。
当時海物語が登場してしばらくは
手を付けていなかった。
正直確変突入率継続率共に50%の
CRデジパチは興味がなかった。
今もそうだが、北斗無双だの仕事人だの
一体何が面白いのかさっぱりである。
ライトユーザーや若い客からしてみれば
液晶で派手な演出が出ればそれで
いいのだろが、本来のパチンコの楽しみが
全く無い。
そういう連中には一度花満開を
打ってみていただきたい。
3と7のスーパーリーチが掛かっただけで
手汗びっしょり、心臓バクバクのあの熱さ。
演出はドットで十分、出玉は一種類
2500発でいいし、時短など必要ない。
話が少し反れたが、1999年冬頃と言えば
パチスロ界では大花火が登場し
大量獲得機ブームが訪れようとしていた。
海の初打ちはこれくらいの時期であり
私が打ったのは既に確変5回のリミッターが
無くなっていた海物語3だと思う。

当時通っていた某P店は
大花火に設定6を入れるイベントを
毎週のように開催しており、私はまず
大花火の6狙いをしてから、それがダメなら
同時開催の早掛けイベントを狙う。
※先着1名ビッグ5回で設定5に打ち換え。
早掛けイベントの対象機種は大体
ハナビかジャグラーだったのだが
これまた店自体あまり人が多くないため
ライバルがほとんど居ない。
大花火こそ朝一は満席になるものの
早掛けイベントに至っては
ライバルゼロである。
なので非常に喰えた店なのだが
P店はパチンコも甘かった。
交換率は3円で、いつも海は馬鹿出し。
中には1000円辺り30以上回る台も
珍しくなかった。
2000年初頭の某日。
いつものようにP店でパチスロを打った後
パチンココーナーへ足を踏み入れる。
この日も海は出ており、いい機会だからと
打ってみることにした。
・・・で、感想はギンパラと同じ。
中身がただの確変機になっているだけで
それ以外はほとんど変更点が無い。
正直いくら回るからと言え、当時は
パチスロの方が甘かったので
早くもヤメたくなっていた。
で、投資が2万くらいだったか
ノーマルリーチからあっけなくジュゴンが
揃って確変大当たり。
これが一気に2万発ほど吐き出して
一安心。
30くらい回るし、3円交換ということもあり
終日勝負である。
最終的には6万ほどプラスになったわけだが
この日から私の短い海生活が始まった。
基本的に釘の仕組みは攻略ビデオを見て
ある程度知っていたのだが、実際はヘソと風車下
くらいしか見れなかった。
なので当時私がパチンコを打つ際は
まず締められたかわかるように
台の写真を携帯で撮って
回らなくなるまで追い続ける。
結局この台は1週間ほど据え置きで
結構な勝ち額を手にしたわけだが
その間、一人の常連である推定60代後半くらいの
婆さんと仲良くなった。
婆さんもいつも同じ台。
というよりも私の隣の台である。
朝一から打ち、夕方になると
夕飯の支度があるからと言って帰宅。
聞けばP店がオープンした70年代からの
常連で、その頃は手打ち式のパチンコも
あったようである。

婆さんの昔話を隣で毎日のように
聞かされ、最初は興味深く聞いていたが
段々面倒になってくる。
しかもこの婆さん、私の台にリーチが
掛かる度に話掛けてくるし
泡リーチならガン見、魚群が走ったものなら
人の台にも関わらず、台をバンバン叩くのだ。
そして、外れたら「あら惜しかったねえ」
当たったら「良かったねえ」である。
これだけならまだいいのだが
私が出だすと、相変わらずリーチする度に
見てくるのだが、確変が揃った瞬間
私の顔をチラっと見て一切無視である。
こうした婆さんの一喜一憂する姿を
横で見せつけられ、さすがの私も最後は
笑うしかなかった。
そんなこともありながらも、お互いが
当たるとコーヒーを買ったりして
仲良くなると、朝一は並び中に
私も含めた常連達で勝ち自慢や
負け自慢大会が始まる。
そんな感じで海の島内は非常に和気あいあいと
しており、常連達は大体余裕の表情を
していたように思う。
その理由は優良営業で回るからだったわけだが
やはりそれも決して長くは続かなかった。
私が30回る台を一週間打ち続け
締められると次の台を探す。
そんなことを2度続けた頃には、既に
どの台も全く回らなくなってしまった。
常連客が一人また一人と減っていき
最後に残ったのはあの婆さんだけである。
私は海に見切りを付けて、パチスロへ
戻っていったわけだが、常連の婆さんは
悲しそうな顔で一人、同じ海を打ち続けていた。
「最近魚の所にお客さん減ったわねえ」
ある日の夕方頃、婆さんはそう言いながら
私の隣に座り、大花火を打ち出した。
同じ海しか打っているのを見たことがなかったので
パチスロを打つなんて珍しいなと思いつつ
打ち方もロクに分かっていなかったので
教えるが目押しができないため、予告音が鳴る度に
私が押す。
で、婆さんはビッグを一度引いたものの
結局全部飲まれ。
「おばちゃん、帰るなら向かいにある飯屋
ご馳走するから行く?」
そう言うと婆さんはニッコリ笑い、一緒に
P店の向かいにある軽食喫茶店へ。
婆さんはこの日海で5万だったか、かなり
負けたと言っていたはずだが、その顔は
終始笑顔だった。
・・・婆さんはP店にパチンコを打ちに
来ていたわけではない。
パチンコが楽しいわけではなく
常連達との交流が楽しかったのである。
その後P店はパチスロも徐々に渋い営業になり
間もなく閉店。
現在は別のパチンコ屋として
営業は続いているが、出玉は
完全なボッタクリ営業。
私はP店の面影を残した店を
数年に一度、ふと思い出しては
覗きに行くことがある。
P店の頃の外観とは変わってはいるが
店内の作りは基本的には変わっていない。
ただ、あの頃の常連はもちろん、一緒に
海を打った婆さんは、もう居なかった。
パチスロ界では初代『北斗の拳』が
最も売れた機種で、その数なんと62万台。
この記録はおそらく今後二度と塗り替えられる
ことはないだろう。
※ロングヒット機種はジャグラー。
ではパチンコ界ではどうかと言えば
もちろん海シリーズが最も売れた。
初代海はそこそこだったものの
その後2002年に登場した『新海物語』は
破竹の勢いでセールスを伸ばし続け
最終的には75万台もの販売台数を記録。
あの北斗を超えていたというわけだ。

©三洋物産
こうして三洋物産は一躍トップメーカーの
仲間入りを果たしたのである。
【某店の海常連の婆さん】
時は1999年冬頃。
当時海物語が登場してしばらくは
手を付けていなかった。
正直確変突入率継続率共に50%の
CRデジパチは興味がなかった。
今もそうだが、北斗無双だの仕事人だの
一体何が面白いのかさっぱりである。
ライトユーザーや若い客からしてみれば
液晶で派手な演出が出ればそれで
いいのだろが、本来のパチンコの楽しみが
全く無い。
そういう連中には一度花満開を
打ってみていただきたい。
3と7のスーパーリーチが掛かっただけで
手汗びっしょり、心臓バクバクのあの熱さ。
演出はドットで十分、出玉は一種類
2500発でいいし、時短など必要ない。
話が少し反れたが、1999年冬頃と言えば
パチスロ界では大花火が登場し
大量獲得機ブームが訪れようとしていた。
海の初打ちはこれくらいの時期であり
私が打ったのは既に確変5回のリミッターが
無くなっていた海物語3だと思う。

当時通っていた某P店は
大花火に設定6を入れるイベントを
毎週のように開催しており、私はまず
大花火の6狙いをしてから、それがダメなら
同時開催の早掛けイベントを狙う。
※先着1名ビッグ5回で設定5に打ち換え。
早掛けイベントの対象機種は大体
ハナビかジャグラーだったのだが
これまた店自体あまり人が多くないため
ライバルがほとんど居ない。
大花火こそ朝一は満席になるものの
早掛けイベントに至っては
ライバルゼロである。
なので非常に喰えた店なのだが
P店はパチンコも甘かった。
交換率は3円で、いつも海は馬鹿出し。
中には1000円辺り30以上回る台も
珍しくなかった。
2000年初頭の某日。
いつものようにP店でパチスロを打った後
パチンココーナーへ足を踏み入れる。
この日も海は出ており、いい機会だからと
打ってみることにした。
・・・で、感想はギンパラと同じ。
中身がただの確変機になっているだけで
それ以外はほとんど変更点が無い。
正直いくら回るからと言え、当時は
パチスロの方が甘かったので
早くもヤメたくなっていた。
で、投資が2万くらいだったか
ノーマルリーチからあっけなくジュゴンが
揃って確変大当たり。
これが一気に2万発ほど吐き出して
一安心。
30くらい回るし、3円交換ということもあり
終日勝負である。
最終的には6万ほどプラスになったわけだが
この日から私の短い海生活が始まった。
基本的に釘の仕組みは攻略ビデオを見て
ある程度知っていたのだが、実際はヘソと風車下
くらいしか見れなかった。
なので当時私がパチンコを打つ際は
まず締められたかわかるように
台の写真を携帯で撮って
回らなくなるまで追い続ける。
結局この台は1週間ほど据え置きで
結構な勝ち額を手にしたわけだが
その間、一人の常連である推定60代後半くらいの
婆さんと仲良くなった。
婆さんもいつも同じ台。
というよりも私の隣の台である。
朝一から打ち、夕方になると
夕飯の支度があるからと言って帰宅。
聞けばP店がオープンした70年代からの
常連で、その頃は手打ち式のパチンコも
あったようである。

婆さんの昔話を隣で毎日のように
聞かされ、最初は興味深く聞いていたが
段々面倒になってくる。
しかもこの婆さん、私の台にリーチが
掛かる度に話掛けてくるし
泡リーチならガン見、魚群が走ったものなら
人の台にも関わらず、台をバンバン叩くのだ。
そして、外れたら「あら惜しかったねえ」
当たったら「良かったねえ」である。
これだけならまだいいのだが
私が出だすと、相変わらずリーチする度に
見てくるのだが、確変が揃った瞬間
私の顔をチラっと見て一切無視である。
こうした婆さんの一喜一憂する姿を
横で見せつけられ、さすがの私も最後は
笑うしかなかった。
そんなこともありながらも、お互いが
当たるとコーヒーを買ったりして
仲良くなると、朝一は並び中に
私も含めた常連達で勝ち自慢や
負け自慢大会が始まる。
そんな感じで海の島内は非常に和気あいあいと
しており、常連達は大体余裕の表情を
していたように思う。
その理由は優良営業で回るからだったわけだが
やはりそれも決して長くは続かなかった。
私が30回る台を一週間打ち続け
締められると次の台を探す。
そんなことを2度続けた頃には、既に
どの台も全く回らなくなってしまった。
常連客が一人また一人と減っていき
最後に残ったのはあの婆さんだけである。
私は海に見切りを付けて、パチスロへ
戻っていったわけだが、常連の婆さんは
悲しそうな顔で一人、同じ海を打ち続けていた。
「最近魚の所にお客さん減ったわねえ」
ある日の夕方頃、婆さんはそう言いながら
私の隣に座り、大花火を打ち出した。
同じ海しか打っているのを見たことがなかったので
パチスロを打つなんて珍しいなと思いつつ
打ち方もロクに分かっていなかったので
教えるが目押しができないため、予告音が鳴る度に
私が押す。
で、婆さんはビッグを一度引いたものの
結局全部飲まれ。
「おばちゃん、帰るなら向かいにある飯屋
ご馳走するから行く?」
そう言うと婆さんはニッコリ笑い、一緒に
P店の向かいにある軽食喫茶店へ。
婆さんはこの日海で5万だったか、かなり
負けたと言っていたはずだが、その顔は
終始笑顔だった。
・・・婆さんはP店にパチンコを打ちに
来ていたわけではない。
パチンコが楽しいわけではなく
常連達との交流が楽しかったのである。
その後P店はパチスロも徐々に渋い営業になり
間もなく閉店。
現在は別のパチンコ屋として
営業は続いているが、出玉は
完全なボッタクリ営業。
私はP店の面影を残した店を
数年に一度、ふと思い出しては
覗きに行くことがある。
P店の頃の外観とは変わってはいるが
店内の作りは基本的には変わっていない。
ただ、あの頃の常連はもちろん、一緒に
海を打った婆さんは、もう居なかった。
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