初代ジャグラーの後継機『大漁2』ジャグラーおばあちゃんとジャグラーで破産した男。
- 2020/01/19
- 18:09
■初代ジャグラーの後継機登場
技術介入機が若者を中心に圧倒的支持を
受けていた1998年6月。
北電子からジャグラーの後継機として
プチマーメイドに続く完全告知マシンが登場する。
その名も『大漁2』
※2となっているが、大漁シリーズ第一弾。

©北電子

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/297,89 | 1/655,36 |
設定2 | 1/273,07 | 1/630,15 |
設定3 | 1/260,06 | 1/606,82 |
設定4 | 1/244,54 | 1/546,13 |
設定5 | 1/240,94 | 1/468,14 |
設定6 | 1/240,94 | 1/364,09 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 93,66% |
設定2 | 97,71% |
設定3 | 100,20% |
設定4 | 103,85% |
設定5 | 105,69% |
設定6 | 107,89% |
【基本仕様】
本機はA400タイプの完全告知機。
リール左下にある灯台が点滅すればボーナス確定。
リーチ目の基本はボーナス絵柄の一直線で
右リールが7ならビッグ、バーならレギュラー
タイなら共通という法則があった。
リプレイハズシは効果は薄いものの
多少の効果がある。
技術介入機全盛期にもかかわらず
ジャグラーと共に年配層に愛され
ジャグラーほどの設置はなかったが
それなりに人気があった機種である。
その後、後継機としてニュー大漁、大漁Ⅱが
登場している。
■いつもジャグラーの角台に座る婆さん
今から20数年前。
当時私が住んでいた家から車で15分の
商店街にあった小さなパチンコ屋。
パーラーJ店。

この店は私が物心がつく頃から営業しており
子供の頃はたまに親に連れられて
行った記憶があった。
そして大人になった私は一時期
J店に居座っていたことがある。
今回はそのJ店での思い出を話そう。
当時、J店にはジャグラーの他に
サーカス3、大漁2などの年配層向けの
パチスロが多数設置されていた。

©北電子
私はJ店に行くと、いつもコンドルや
コンテストなどの技術介入機を
打っていたが、大漁もよく打っていた。
理由はライバルが居らず、さらに通常時の
小役狙いやハズシを実践している者も
居ないため、設定が甘かったので
勝てたからである。
個人的にはジャグラーよりも大漁の方が
好きだった。
で、ジャグラーと大漁の島には
私の他にいつも角台に座る婆さんと
ジャグラー中毒の推定30代の男が居た。
婆さんは大漁も打つのだが、大体が
ジャグラーの角台に座る。
毎日必ず開店前から居て、角台に座るのだ。
そのため、他の常連達からはいつの間にか
ジャグラー婆さんと呼ばれるようになり
ジャグラーの角台には誰も座らなくなっていた。
・・・一方のジャグラー中毒の男。
彼はいつも脂ぎった黒髪だったため
他の常連達からはアブラと呼ばれ
煙たがられていた。
その理由はとにかく強打だからだ。
それなりに高設定をツモっていたのだが
正直私は嫌いだった。
・・・そんなある日。
私はいつものようにJ店に朝から行き
コンテストの設定5判別を開始。
が、この日はツモれずに早々に
大漁の島へ。
するとジャグラー婆さんが神妙な面持ちで
大漁を打っていた。
いつもジャグラーの角を打っているはずなのに
どうしたのかと聞いてみたところ
「人が打っていたからねえ」
そう言うので、ジャグラーの島を覗くと
あろうことかアブラが角台をガンガン強打しながら
打っている。
しかも連日婆さんがハメて店も恩返ししようと
設定を上げたのだろうか、タコ出し。

ただ打っているのはアブラ。
ここ数日、婆さんが角台でかなり
負けていたことは知っていたし
もちろん他の常連達も知っていたので
この日アブラに取られて、しかも
それがバリバリの高設定挙動。
これでは婆さんが可哀そうだろう。
狙い台の台取りに関しては、早い者勝ち
であることは確かだが、当時は
暗黙の了解で客同士のルールがあったのだ。
※今でも特にパチンコにはある。
それを見事なまでに破ったアブラ。
当然アブラも婆さんが打っているジャグラー
だということは知っているはずだ。
私は悲しそうに打つ婆さんを見て
段々と腹が立ってきたので
店員に事情を報告。
「あ~言っとくわ」
ポマードを塗りたくった30代後半の
リーゼントの店員はそう言って
アブラの元へ行き、注意。
「その台あの婆さんが打ってんだよ
いっつも来てるならわかるだろ?」
そう言ったのかは知らないが
アブラはそれでもヤメない。
結局店員も無理矢理どかすわけにも
いかないようで、この日は諦めることに。
婆さんも申し訳なさそうにいいよと言うのだが
私も腹の虫が収まらない。
・・・そんなわけで翌日から私とアブラの戦いが
始まった。
先頭で並び、開店ダッシュで一目散に
ジャグラーの角を取った私はすぐに
他の機種も確保してから
婆さんにジャグラーを譲るという
アブラにジャグラーを取らせない
作戦に出たのである。
別にそれまでジャグラーの角台が熱いわけでは
なかったのだが、一度高設定に上げた以降は
しばらくの間据え置きだったのである。
なのでアブラも悔しかったのか
一度だけ早朝から並んでいたことがあるが
私はさらにその前から並んでいたので
彼に取られることはなかった。
・・・このおかげでアブラは諦めたのか
やがてJ店に来なくなった。
おかげでJ店にはいつもの平和な
日常が戻り、婆さんにも笑顔が
戻ったのである。
※この事件以降毎回会う度にジュースを
貰うことになった。
ちなみにこのアブラ。
J店から歩いてすぐのところにあった
ラーメン屋の息子で、いい歳をして
独身無職であり、毎日パチスロを
打っていると近所では有名だったようだ。
※一度だけ行ったことがあるが
味は普通だった。
で、私とのジャグラーバトルのせいかは
知らないが、ついに破産してしまい
家のラーメン屋を継いだようである。
・・・あれから20数年。
J店は今も営業しているが、先日店内を
覗くとガラガラで、ポマードの店員はもちろん
ジャグラー婆さんは既に居なかった。
ただ一人、アイムジャグラーの角台で
ハマっていた年老いた男。
それがアブラかどうかはわからないが
私が店を出るまで、静かな店内にガンガンと
強打する音が鳴り響いていたのを聞いて
妙に安心して懐かしくなったのである。
今から20数年前。
当時私が住んでいた家から車で15分の
商店街にあった小さなパチンコ屋。
パーラーJ店。

この店は私が物心がつく頃から営業しており
子供の頃はたまに親に連れられて
行った記憶があった。
そして大人になった私は一時期
J店に居座っていたことがある。
今回はそのJ店での思い出を話そう。
当時、J店にはジャグラーの他に
サーカス3、大漁2などの年配層向けの
パチスロが多数設置されていた。

©北電子
私はJ店に行くと、いつもコンドルや
コンテストなどの技術介入機を
打っていたが、大漁もよく打っていた。
理由はライバルが居らず、さらに通常時の
小役狙いやハズシを実践している者も
居ないため、設定が甘かったので
勝てたからである。
個人的にはジャグラーよりも大漁の方が
好きだった。
で、ジャグラーと大漁の島には
私の他にいつも角台に座る婆さんと
ジャグラー中毒の推定30代の男が居た。
婆さんは大漁も打つのだが、大体が
ジャグラーの角台に座る。
毎日必ず開店前から居て、角台に座るのだ。
そのため、他の常連達からはいつの間にか
ジャグラー婆さんと呼ばれるようになり
ジャグラーの角台には誰も座らなくなっていた。
・・・一方のジャグラー中毒の男。
彼はいつも脂ぎった黒髪だったため
他の常連達からはアブラと呼ばれ
煙たがられていた。
その理由はとにかく強打だからだ。
それなりに高設定をツモっていたのだが
正直私は嫌いだった。
・・・そんなある日。
私はいつものようにJ店に朝から行き
コンテストの設定5判別を開始。
が、この日はツモれずに早々に
大漁の島へ。
するとジャグラー婆さんが神妙な面持ちで
大漁を打っていた。
いつもジャグラーの角を打っているはずなのに
どうしたのかと聞いてみたところ
「人が打っていたからねえ」
そう言うので、ジャグラーの島を覗くと
あろうことかアブラが角台をガンガン強打しながら
打っている。
しかも連日婆さんがハメて店も恩返ししようと
設定を上げたのだろうか、タコ出し。

ただ打っているのはアブラ。
ここ数日、婆さんが角台でかなり
負けていたことは知っていたし
もちろん他の常連達も知っていたので
この日アブラに取られて、しかも
それがバリバリの高設定挙動。
これでは婆さんが可哀そうだろう。
狙い台の台取りに関しては、早い者勝ち
であることは確かだが、当時は
暗黙の了解で客同士のルールがあったのだ。
※今でも特にパチンコにはある。
それを見事なまでに破ったアブラ。
当然アブラも婆さんが打っているジャグラー
だということは知っているはずだ。
私は悲しそうに打つ婆さんを見て
段々と腹が立ってきたので
店員に事情を報告。
「あ~言っとくわ」
ポマードを塗りたくった30代後半の
リーゼントの店員はそう言って
アブラの元へ行き、注意。
「その台あの婆さんが打ってんだよ
いっつも来てるならわかるだろ?」
そう言ったのかは知らないが
アブラはそれでもヤメない。
結局店員も無理矢理どかすわけにも
いかないようで、この日は諦めることに。
婆さんも申し訳なさそうにいいよと言うのだが
私も腹の虫が収まらない。
・・・そんなわけで翌日から私とアブラの戦いが
始まった。
先頭で並び、開店ダッシュで一目散に
ジャグラーの角を取った私はすぐに
他の機種も確保してから
婆さんにジャグラーを譲るという
アブラにジャグラーを取らせない
作戦に出たのである。
別にそれまでジャグラーの角台が熱いわけでは
なかったのだが、一度高設定に上げた以降は
しばらくの間据え置きだったのである。
なのでアブラも悔しかったのか
一度だけ早朝から並んでいたことがあるが
私はさらにその前から並んでいたので
彼に取られることはなかった。
・・・このおかげでアブラは諦めたのか
やがてJ店に来なくなった。
おかげでJ店にはいつもの平和な
日常が戻り、婆さんにも笑顔が
戻ったのである。
※この事件以降毎回会う度にジュースを
貰うことになった。
ちなみにこのアブラ。
J店から歩いてすぐのところにあった
ラーメン屋の息子で、いい歳をして
独身無職であり、毎日パチスロを
打っていると近所では有名だったようだ。
※一度だけ行ったことがあるが
味は普通だった。
で、私とのジャグラーバトルのせいかは
知らないが、ついに破産してしまい
家のラーメン屋を継いだようである。
・・・あれから20数年。
J店は今も営業しているが、先日店内を
覗くとガラガラで、ポマードの店員はもちろん
ジャグラー婆さんは既に居なかった。
ただ一人、アイムジャグラーの角台で
ハマっていた年老いた男。
それがアブラかどうかはわからないが
私が店を出るまで、静かな店内にガンガンと
強打する音が鳴り響いていたのを聞いて
妙に安心して懐かしくなったのである。