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今のパチンコ屋と昔のパチンコ屋の違い!並び、客層、営業スタイル、設定状況、イベント


現在のパチンコ屋と昔のパチンコ屋では

見た目や営業スタイルなどに大きな違いがあった。

そこで今回はパチンコ屋の今と昔を比べて

その違いを紹介していこう。


■現在のパチンコ屋
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※ここで言う現在のパチンコ屋とは主に4号機中頃の
ストック機時代以降のことを指す。



①大型チェーン店が多い
パチンコ客の減少や厳しい規制により、力の無い
小さい個人経営店がほとんど無くなり
ほとんどが大手チェーン店になった。

②店員が礼儀正しい
客<店員だった昔に比べ、今では
店員<客。
そのためサービスも充実しており
ドリンクサービスはもちろん、座布団や爪切りなどの
日用品まで貸し出しているような店もある。
店員が客にお辞儀するのも弱小店では
あまり無かったのだ。

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③入場方式が抽選もしくは並び順
これは事故や混乱などのトラブルなどを避けるため
このような方式になった。

④全面禁煙
これは2020年4月に施行されたもので
今は喫煙ルームでしかタバコが吸えなくなった。

⑤新台が出ない
店によっては出すところもあるが、大体の店は
回収である。
これは昨今の新台導入ペースが早く、台自体の
費用も高いためである。

⑥若い客、特に女性客が増えた
昔のパチ屋には若い女性客などまず居なかった。
それだけタバコ臭いイメージと柄の悪い客が
多かったということだろう。
今は綺麗な女性客も多く、華やかになったものである。


⑦イベントが無い
規制によってイベントが無くなった。
店によってはブログやSNSでこっそり告知する
ところもあるようだが、昔に比べれば
厳しくなった。
ほとんどの客は旧特定日に頼るしかないようだ。

⑧出ない
これが昔のパチ屋との大きな違い。
規制によってパチンコの連チャン機や
パチスロの爆裂機が無くなった。
もちろん裏モノもほぼ無い状態だ。


こうしてみると、やはり出玉とは関係のない

サービスは充実しているが、出玉のサービスは

イマイチである。

今の時代にパチンコで30、40も回ることなど

聞いたことが無いし、パチスロもたとえ

全台系をやったところでたかが知れている。

全台系は全台系ができるくらいの

機械割しかないということだ。

毎日140%以上の台で設定狙いをしていた私は

110%前後の台で真剣に立ち回れる体では

なくなってしまった。

そのためイベントにも並ぶ気が失せるし

昔のように連日徹夜するようなことも

なくなった。

早い話がパチスロに対する熱量が無くなった

わけだが、言えることは今のパチンコ・パチスロは

大して勝てないということだ。


・・・では昔のパチンコ屋はどうだったのか。



■昔のパチンコ屋
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※昔のパチンコ屋とは主に1990年代後半までのことを
指す。



①個人経営店など小さい店が多かった
昔は小さいパチンコ屋がそこら中に沢山あった。
そのため、今よりもパチンコユーザー自体は
多かったが、分散していたため、意外と
パチ屋の客自体はそれなりだった。
オイシイイベントでも今のようにSNSなどで
バレることは少なく、一般人とプロの間には
情報量という差が生まれていたわけだ。

②店員が偉そう
ポケットに手を突っ込む店員やタバコを吸う店員
90年代中頃まではパンチパーマの店員も
居たりした。
確実に客<店員だった時代である。

③入場方式が一斉入場
今とは違い、入場の際は一斉入場だったため
朝一の台取りは戦争。
私は後ろの客に踏みつけられたこともあるし
追い越し追い抜き何でもあり。
当然殴り合いの喧嘩もあった。
そのため女性客や年配客で並んでいる人は
あまり居なかった。

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④イベントや煽りが沢山あった
設定を公開するイベントや設定が書かれた札台など
勝てる要素が至る所にあった。
あとは店が朝一から当たっている状態の台を
用意している、いわゆるモーニングもあった。
それを狙って皆が並ぶわけだ。
もちろん店によっては掛け持ち何でもあり。

また店員のマイクパフォーマンスも充実しており
煽り文句は出ます出します取らせます。
まるでキャバクラの店内である。

⑤子供も居た
今のパチ屋には託児所なんかがあるが
昔はそんなものはなく、その代わり小さな子供も
平気で入ることができた。
昔から18歳未満の人は入れない決まりだったが
黙認していたところは多かったのだ。
私も小さい頃はオヤジに連れられて
パチ屋で遊んでいたものだ。

ただ誘拐事件や車の子供置き去りなどが多発し
問題になったことから、今では一切禁止である。
子供の頃に打った昭和のパチスロ『リバティベル』1980年代のパチンコ店内で遊んだ女児の今

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⑥新台が熱い
昔は新台入れ替えなどの新装開店自体することが
稀だったため、とにかくこの日は出た。

特にパチスロでは3号機時代1メーカー2機種までしか
販売できない決まりだったため、その分経費を
抑えることができたので還元に回すことができた
というわけだ。
新装開店はとにかく熱かったのだ。
ガセるようになったのは4号機中頃からだろう。

⑦低換金率がほとんどだった
主流だったのがパチンコ2円もしくは3円で
パチスロは6枚もしくは7枚交換。
低換金率で再プレーも無かった店が多かったため
回る台や高設定も多かったのだ。

⑧客レベルが低かった
これは情報の少なさが原因だろう。
今のようにネットも無い時代で、雑誌だけが
攻略の糸口となっていたため、知識の
無い客も沢山居た。

ただ一部のプロは今と変わらず、もしくは
それ以上のレベルだったわけだ。

⑨チンピラやヤクザが多かった
今はほとんど居ないが、昔は多かった。
特に裏モノの島には必ずと言っていいほど居た。
これも昔は単純にパチンコ屋が熱く、おいしかったからで
今まず見掛けないのはおいしくないからである。


やはり今のパチンコ屋に比べて規制が緩かったため

出玉感があった。

もちろんそのため、イベントも大々的に告知できたし

爆裂機や裏モノも存在したため

小さなレトロ店でも十分経営が成り立っていたわけだ。


【まとめ】
要するに今のパチンコパチスロは勝つために

打つ価値は無いということだ。

特に社会から逃げ出し、大切なものまで犠牲にしている

プロ達は厳しいだろう。

例えば今、月に50万勝っているプロが居たとして

それが4号機時代であればその倍の月100万は

勝っていたはずだ。

4号機時代に一財産を築いて引退したプロは

賢い。


今後はカジノもできることで、さらにこの業界は

縮小していくことは目に見えている。

せめて爆裂機や裏モノの復活、イベントの告知などの

規制緩和をしてほしいものである。

いずれまた客が熱くなれたあの時代に戻さなければ

この業界が終わることは間違いない。




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プロフィール

パチプロあおさん

Author:パチプロあおさん
生涯収支が1億円を突破した
現役パチプロでプロ歴1998年~。
北海道出身。
パチンコ歴1994年~・パチスロ歴1995年~。
(1993年に初めてゲーセンでパチンコを打つ)
日々の稼働や収支、最新台の解析情報や
これまでの軌跡について記事にしています。
稼働日数7000日突破。


~経歴~
1994年頃、兄貴に連れられ初めてパチ屋に入る。
(子供の頃にもパチンコを打ったことはあるが)。
1998年、パチプロになる。
2015年、生涯収支が1億円を超える。
2015年9月、当ブログ開設。

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