スロプロになるきっかけの台『CCエンジェル』ユニバ初のマックスベット採用機でビギナーズラックとリーチ目探し
- 2020/08/04
- 10:28
■ユニバーサル新筐体登場
1996年7月。
それまでのユニバーサルの筐体から一新し
ワイドリールやマックスベット、光るベットボタンなどを
採用した可愛らしいデザインのパチスロが登場する。
その名も『CCエンジェル』

©メーシー

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/287 | 1/431 |
設定2 | 1/273 | 1/399 |
設定3 | 1/264 | 1/364 |
設定4 | 1/256 | 1/315 |
設定5 | 1/248 | 1/273 |
設定6 | 1/240 | 1/256 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 99,05% |
設定2 | 102,05% |
設定3 | 104,49% |
設定4 | 107,62% |
設定5 | 110,97% |
設定6 | 113,42% |
【基本仕様】
本機はオーソドックスなA400タイプマシン。
ユニバの新筐体としてデビューした本機は
コンドルやタコスロなどと同じく、技術介入機時代の
先駆けともなった機種である。
リプレイハズシは簡単だったものの
中段受けのみハズシは不可能だ。
減算値を用いた設定判別はできない。
尚、翌年の3月には後継機として
ベイビーエンジェル2が登場している。

©メーシー
CCエンジェルは当時のユニバ系機種である
コンドルやタコスロ、スーパーモグモグなどと
比べると、そこまで甘いというイメージはなかったが
それでも操作性の向上と可愛らしいデザインで
当時のスロッターには人気のあった台である。
■CCエンジェルのあったS店
当時、私が住んでいた家から車で10分くらいのところに
小さな商店街があったのだが、その一角に
ひっそり営業を続けていたS店があった。

昭和中期から営業するS店は、地元の
年配客が通う、いわゆる昔ながらのパチンコ屋。
そこに当時はまだまだ駆け出しだった私も
度々訪れていたわけだ。
兄貴と一緒に平台を打ったり、たまに
パチスロを打つこともあった。
ただし、当時はまだあまり金が無く
平台で勝ったら、たまにパチスロを打つ
というのが、お約束。
・・・で、そんなある日。
友人と一緒に自転車でS店へ打ちに行くことに
なった。
※当時車が無かったため。
目的はS店に導入されて間もない
CCエンジェルだ。
当時、攻略誌スロマガの企画で
編集のエロマンガパンチ氏が
※現、貴方野チェロス。
ゴミステーションからC.C.エンジェルを拾い
それを打って設定判別してみる、という企画があり
それに触発されたという記憶がある。
・・・S店に向かった時刻は夕方くらいで
冬だったと思う。
白い息を吐きながら、1000円を握りしめて
S店に入店。
何せ1000円しかないため、簡単に
打つことはできない。
それならば朝一のモーニングを狙った方が
いいのだが、私はよく1000円だけ持って
リーチ目を探すという、空き缶拾いのような
こともしていた。
※モーニングとは店が朝一で用意していた
ボーナスが入っている状態の台のこと。
なので、まずはホールに到着するなり
店内を徘徊し、リーチ目を探すところから
始まる。

CCエンジェルのリーチ目は簡単で
ボーナス絵柄と羽根の一直線や
右リール赤チェリーバー絡み
中段リリチェ、もちろんチェリーハサミは
成立後の鉄板目で、分かりやすい。

・・・で、ホールを徘徊していると
CCエンジェルの島にこんな台を発見。

チェリーハサミで思い切りリーチ目が停止した
台が空いていたのである。
今では考えられない光景だが
当時はリーチ目が落ちている状況は
そこまで珍しいことではなかったのだ。
で、クレジットが残っていたかどうかは
記憶に無いが、私は台を確保し、それを
友人に知らせると、二人でホールの床を
這いつくばってコインを探す。
「あった!」
友人が見つけた1枚のコインを借りて
それでビッグを揃える。
拾ったコインで人様が捨てたリーチ目を
頂くという何とも意地汚い真似をしていたわけだが
何せ二人共金が無いのだから仕方がない。
・・・ともあれ拾ったCCエンジェルの
リーチ目で約7000円をゲットした私は
その後、ビギナーズラックで私以上に勝った
友人を誘い、焼肉へ。
当時からリーチ目の知識だけは一人前だった
私は、年配客の多かったS店でこうして
モーニングやリーチ目を拾っては
小銭を稼ぐ。
パチスロを始めた最初期はこうして
軍資金を稼いでいたのだ。
要するにCCエンジェルは、私がスロプロになる
きっかけにもなった台であり、その後
登場したクランキーコンテストで、設定狙いを
本格的に始めるようになったわけである。

©ユニバーサル
・・・1995年。
兄貴に連れられて初めて行ったパチンコ屋で
パチンコを打ち、たまたまビギナーズラックで
勝った私は、その後パチスロにも手を出し
パチスロの魅力に取りつかれていったわけだが
その理由ははっきりしている。
『面白いし、勝てたから』
だが、今はそのどちらかでさえ再現できない
厳しい時代。
では、せめて今のパチスロ業界に求めるものは何か。
それは『台』の面白さや甘さではなく、今の
アミューズメントパーラーには無い
『パチンコ屋らしさ』
なのかもしれない。
当時、私が住んでいた家から車で10分くらいのところに
小さな商店街があったのだが、その一角に
ひっそり営業を続けていたS店があった。

昭和中期から営業するS店は、地元の
年配客が通う、いわゆる昔ながらのパチンコ屋。
そこに当時はまだまだ駆け出しだった私も
度々訪れていたわけだ。
兄貴と一緒に平台を打ったり、たまに
パチスロを打つこともあった。
ただし、当時はまだあまり金が無く
平台で勝ったら、たまにパチスロを打つ
というのが、お約束。
・・・で、そんなある日。
友人と一緒に自転車でS店へ打ちに行くことに
なった。
※当時車が無かったため。
目的はS店に導入されて間もない
CCエンジェルだ。
当時、攻略誌スロマガの企画で
編集のエロマンガパンチ氏が
※現、貴方野チェロス。
ゴミステーションからC.C.エンジェルを拾い
それを打って設定判別してみる、という企画があり
それに触発されたという記憶がある。
・・・S店に向かった時刻は夕方くらいで
冬だったと思う。
白い息を吐きながら、1000円を握りしめて
S店に入店。
何せ1000円しかないため、簡単に
打つことはできない。
それならば朝一のモーニングを狙った方が
いいのだが、私はよく1000円だけ持って
リーチ目を探すという、空き缶拾いのような
こともしていた。
※モーニングとは店が朝一で用意していた
ボーナスが入っている状態の台のこと。
なので、まずはホールに到着するなり
店内を徘徊し、リーチ目を探すところから
始まる。

CCエンジェルのリーチ目は簡単で
ボーナス絵柄と羽根の一直線や
右リール赤チェリーバー絡み
中段リリチェ、もちろんチェリーハサミは
成立後の鉄板目で、分かりやすい。

・・・で、ホールを徘徊していると
CCエンジェルの島にこんな台を発見。

チェリーハサミで思い切りリーチ目が停止した
台が空いていたのである。
今では考えられない光景だが
当時はリーチ目が落ちている状況は
そこまで珍しいことではなかったのだ。
で、クレジットが残っていたかどうかは
記憶に無いが、私は台を確保し、それを
友人に知らせると、二人でホールの床を
這いつくばってコインを探す。
「あった!」
友人が見つけた1枚のコインを借りて
それでビッグを揃える。
拾ったコインで人様が捨てたリーチ目を
頂くという何とも意地汚い真似をしていたわけだが
何せ二人共金が無いのだから仕方がない。
・・・ともあれ拾ったCCエンジェルの
リーチ目で約7000円をゲットした私は
その後、ビギナーズラックで私以上に勝った
友人を誘い、焼肉へ。
当時からリーチ目の知識だけは一人前だった
私は、年配客の多かったS店でこうして
モーニングやリーチ目を拾っては
小銭を稼ぐ。
パチスロを始めた最初期はこうして
軍資金を稼いでいたのだ。
要するにCCエンジェルは、私がスロプロになる
きっかけにもなった台であり、その後
登場したクランキーコンテストで、設定狙いを
本格的に始めるようになったわけである。

©ユニバーサル
・・・1995年。
兄貴に連れられて初めて行ったパチンコ屋で
パチンコを打ち、たまたまビギナーズラックで
勝った私は、その後パチスロにも手を出し
パチスロの魅力に取りつかれていったわけだが
その理由ははっきりしている。
『面白いし、勝てたから』
だが、今はそのどちらかでさえ再現できない
厳しい時代。
では、せめて今のパチスロ業界に求めるものは何か。
それは『台』の面白さや甘さではなく、今の
アミューズメントパーラーには無い
『パチンコ屋らしさ』
なのかもしれない。
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