今回は名機物語外伝特別編として
父親が凄腕のパチプロ・スロプロだった同級生の
話をしよう。
■クランキーコンドルの登場1995年9月、ユニバーサルから
リプレイハズシを世に広めた技術介入機の
名機『クランキーコンドル』が登場した。
現在にもアクロスのクランキーシリーズに
受け継がれているこの名機は、当時
世のスロッターに多大なる影響を及ぼしていた。

©ユニバーサル

※ボーナス確率設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/277 | 1/482 |
設定2 | 1/264 | 1/443 |
設定3 | 1/256 | 1/410 |
設定4 | 1/241 | 1/390 |
設定5 | 1/241 | 1/381 |
設定6 | 1/241 | 1/381 |
※機械割(ハズシ使用)設定 | 機械割 |
設定1 | 104,12% |
設定2 | 107,36% |
設定3 | 109,68% |
設定4 | 113,52% |
設定5 | 113,75% |
設定6 | 116,39% |
■基本仕様当ブログでは何度も登場している本機は
A400タイプの技術介入機で、当然私も思い入れが強く
思い出も多い台である。
フル攻略なら設定1でも機械割が105%ほどになる
激甘スペックと、効果絶大のリプレイハズシ
また代表的なリーチ目「上段青7テンパイ」は
スロッターならば一度は聞いたことがあるほど
有名だろう。
4号機『クランキーコンドル』の思い出、上段青テン!初めてのリプレイハズシ!~パチスロ名機物語外伝51~1995年パチスロ!初代『クランキーコンドル』の設定6狙いで大失態を犯した男!超レア裏モノ!クランキーコンドル状態バージョンを温泉街で見つけたパチンコ屋で打って大爆裂!?
■コンドルと裏モノで家族を養う父親と息子今から20数年前。
私の同級生にAという男が居たのだが
彼とたまにパチンコ屋で顔を合わせることが
あった。
私もちょうど兄貴とパチンコ屋に行くことが
多かった時期で、顔を合わせると
よく連れ打ちしていたわけだ。
それが近所にあった今は亡きU店。

ここで私は主にハネモノを打っていたのだが
いつも父親と一緒に来ていたAが
よく打っていたのがクランキーコンドルである。
当時はコンドルのような技術介入機が
出始めたばかりの頃で、正直素人だった私は
右も左もわからないし、何せ金が無い。
なので兄貴の代打ちをしたり、ハネモノを
打ったりすることが多かった。

©京楽
が、Aは既にコンドルでバリバリに
リプレイハズシを行い、勝っていたのだから
私よりも格上だ。
しかも判別手順はもちろんリーチ目にも精通していた。
というのも一緒に来ていたAの父親が
現役のパチプロで、勝った金で家族を
養っていたのである。
※パチスロ雑誌にもこの手の漫画家が居たが
そういうママゴトとは違い、本当にパチスロだけで
養っていた。もちろんAの学費もだ。
※子供は同級生の息子一人。そんなパチプロの父親に毎日のように
パチンコ屋に連れて行かれ、勝つ技術と
知識を身に付けられていたというわけだ。
Aもそんな父親にすっかり触発されて
パチスロで喰っていくと豪語していた。
正直まだ学生にもかかわらず、親が
成人にもなっていない息子をパチ屋に
連れ回すとは今では到底考えられない
ことである。
とは言え、私もAの父親に車でしか行けないような
遠いパチ屋に連れて行ってもらったり
打ち終わると晩飯をご馳走になることも
多々あったので感謝はしている。
だがその後この親子は私がU店に行かなくなると
同時に見ることはなくなった。
※U店は2001年に閉店。
またAは携帯電話を持っていなかったので
学校卒業後は徐々に音信不通になっていった。・・・そして私がパチプロになってしばらく経った
2001年頃。
パチスロ業界は大量獲得機やCT機ブームが
終わり、爆裂AT機時代がいよいよ始まる
といった頃で、私は当時通っていたT店で
Aの父親とバッタリ遭遇。
実に5年振りで見た目はほとんど変わっていない。
やや頭頂部が後退していたくらいだろう。
で、この時彼が打っていたのは
ベルコの捕物帳だ。
細かい仕様は忘れたが、裏モノである。

©ベルコ
Aの父親は、U店に居た頃はコンドルや
タコスロのような堅い機種ばかりしか
打っていなかった印象があったので
正直イマイチな機種の裏モノを打つことは
珍しく、強く衝撃を受けた記憶がある。
私はAも来ているのかと思い、父親に話しかけてみた。
私「久しぶりです、Aも来てるんですか?」Aの父親「・・・おー、Aは来てないよ」どうも様子がおかしい。
私はAと久しぶりに連絡が取りたいからと
彼の連絡先を聞いたのだが、気まずそうな顔で
今は引っ越して一緒に住んでないし、連絡先は
わからないが、おそらく今はパチスロで生活している
とのことだった。
それを聞いて何となくAの家庭の事情が読めた私は
それ以上父親に話しかけることはなかった。
これは私の勝手な予想だが、Aの父親に
奥さんが何らかの理由で愛想を尽かした感じだろう。
その原因はパチプロだったからかもしれないし
そうでないかもしれない。
・・・兎にも角にも。
Aの父親の話ではAはパチ屋に通っていれば
いずれ会えるとのことで、私もその時を
楽しみにしていた。
だが、それ以降も数々のパチンコ屋に
ほぼ毎日のように訪れていた私だったが
Aも引っ越したせいなのか、彼らに
再会することは二度となかった。
親子でパチプロだったAとその父親。
私にとって一番最初のスロ仲間だった彼らは
今もどこかのパチンコ屋で打っているのかもしれない。
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http://mitihazure.blog.fc2.com/blog-entry-1563.html父親の職業がパチプロ・スロプロ!パチスロで子供を養う!親子でパチプロだった男達
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