■激甘な技術介入機達時は2000年。
当時CT機や大量獲得機を含め、続々と登場する
技術介入機の中でも特に甘いと言われた機種が
ワニマル、イプシロン、グランシエル、キングオブザタイガー
ヒートウェバー、ドラキュラ7A等々。
そのどれもが設定1でもフル攻略であれば機械割が
105%前後になるため、多少の目押しさえできれば
まず負けることはなかった。
中でも甘さが際立っていたのがワニマル
キンタイ、そして既存のコンドル、タコスロだろう。
そして1999年6月にネットから登場した
『ドラキュラ7A』だろう。

©ネット

※ボーナス確率設定 | ビッグ |
設定1 | 1/252 |
設定2 | 1/234 | >
設定3 | 1/218 |
設定4 | 1/204 |
設定5 | 1/192 |
設定6 | 1/178 |
※機械割(フル攻略)設定 | 機械割 |
設定1 | 104,3% |
設定2 | 108,4% |
設定3 | 112,7% |
設定4 | 117,0% |
設定5 | 120,6% |
設定6 | 126,8% |
【基本仕様】本機はビッグのみ搭載した7ライン機。
1997年4月に登場した初代ドラキュラの
後継機としてデビューしたものの、初代とは
一線を画していた。
ビッグのみの7ライン、3連7絵柄、チャンス予告の導入
等々様々な変更点があるが、何と言っても際立つのが
技術介入度の高さである。
難易度こそ高いものの、リプレイハズシをすれば
設定1でも機械割が104%を超える激甘台となり
当時の技術介入機達と肩を並べたパチスロ
なのである。
・・・ただ、メーカーがネットだからなのか
その甘さがあってしても、人気はイマイチ。
実際に導入されたのは同時期に発売された
バイオメサイアが圧倒的に多く、マイナー機として
生涯を終える。
末期になると裏モノも出回ったが、その存在は
少なかった。
■甘い機種ばかり設置していた某店2000年当時、今と比べると圧倒的に多かったのが
個人経営かと思うような小さいパチンコ店だ。
まだまだ規制が緩く、尚且つパチンコ人口も
多かった時代だったため、そのような店も
生き残れたわけである。

当時の私は普段大花火などの人気機種で
設定狙いをしていたわけだが、もちろん
それ以外にも打っていた機種は多い。
強いイベント以外の日は、甘い機種が設置してある
小さめのパチンコ屋でまったりと稼働することも
少なくなかった。
もちろん甘さだけではない。
ゲーム性も好みな機種が多く、古いとまでは
言わないが、良い時代だったのは確かである。
・・・そんな中、数か月だけ通った某I店。
この店は画像を見てわかる通り、古くから営業する
パチンコ屋で、地元の年配客が数人しかいないような
レトロ店。
ここに私好みの機種が設置してあった。
コンドルはもちろんのこと、タコスロ、ワニマル
キンタイ、グランシエル、ドラキュラ7A等の甘い台が
等価で勢ぞろいしていたのだ。
この店は私の住んでいた地域からは少し離れており
田舎の住宅街のど真ん中にあり
まだネットもロクに普及していなかったため
他のプロ達に気付かれることはほぼなかったわけだ。
私はたまたまその近所に住んでいた友人が居て
I店の存在は知っており、その友人と
たまに打ちに行っていたのだが、時が経つにつれ
設置機種自体が珍しくなっていった。
コンドル、タコスロに関しては当時既に設置自体も
少なくなり、ましてや等価で打てるとなると
なかなか無かったため、毎日通うようになる。
私がI店でよく打ったのはコンドル、タコスロ
ワニマル、ドラキュラなのだが、正直
ドラキュラはイマイチ好きではなかった。
というのも当時のネットの操作性の悪さや
筐体の見た目が好みではなかったことと
そもそも7ライン機があまり好きになれなかった。

とは言え、甘い機種であることは確かで
私はこれらの機種をローテーションで打ち
友人3人はワニマル占拠といった感じ。
※他の友人にも教えたため、もう2人増えた。当然どの機種も設定1でも機械割が
104~106%になるだけでなく、皆が
朝一から夜まで打つために一日平均で
3万程度の稼ぎになる。
※いくら甘いからとはいえ、ほとんどが設定1と
分かっていたため、閉店まで打つようなことは
なかった。その上、私は後半になると打ち子を3人雇い
毎日コンドルとタコスロを占拠する荒業に出た。
私は朝一で他店に行き、高設定にあぶれたら
I店に行くわけだが、打ち子3人は最初から
I店に行かせて閉店まで打たせる。
これで日当7~9万は確保できたわけで
バイト代を渡しても十分浮きが出るのである。
・・・こうしてしばらくの間I店で稼いでいたわけだが
変化は意外にも早く表れた。
I店で打ち子を雇ってから3か月も経つと
店から文句こそ言われないものの
換金所で渡される札が1万円札ではなく
千円札や五千円札が混ざるようになっていた。
「まさか換金所の金が無くなるのか?」
「そんなまさかね・・・」稼働が終わると連日皆で焼肉へ行き
パチスロ談義に花を咲かせていたのだが
まさか冗談だと思って話していたことが
現実となる。
・・・翌日。
何の告知も無く、I店は休業。
店のシャッターにはしばらくの間休業するとの
張り紙が貼られたはいいものの
その後二度とそのシャッターが開くことはなかった。
私が潰したとは断定はできないが
もしかすると元々閉店する予定を
早めたのかもしれない。
小さなレトロ店で連日打ち子を雇って台を占拠し
本来回収するはずの設定でコインを抜いて
しまってはそうなるのも当然と言える。
今であればすぐに出禁になりそうなものだが
こうした緩い店は多々あった。
客の少ない小さな店が好きだった私としては
元々潰れる運命だったであろうが、少々
心が痛んだのは確かである。
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http://mitihazure.blog.fc2.com/blog-entry-1630.htmlパチンコ屋を潰したパチプロ軍団!『ドラキュラ7A』と換金所の金が無くなった理由
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