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コーヒーレディの彼女と付き合うもギャンブル(パチンコ・パチスロ)が理由でフラれたスロプロ


今回は名機物語特別編として、これまでの

名機物語一覧では紹介しなかった話をしよう。


■郊外のパチンコ店L
時は2003年。

この年に登場した代表的なパチスロと言えば

『北斗の拳』『吉宗』『猪木』

この3機種だろう。

爆裂AT機時代も終わり、ストックタイプの4,5号機が

続々と登場し始めた頃だ。

ほとんどの機種は4号機ATに比べて、機械割が

大幅にダウンしたものの、パチスロ人気は

まだまだ高く、長い北斗ブームが到来する直前

でもあった。


・・・当時の私は打ち子を雇い、開店プロを

していたわけだが、爆裂AT機などが少なくなる

この年くらいからようやく落ち着き、ピン稼働も

多くなっていた。

そんな中、月一でイベントを開催していた

某L店は設定変更の跡さえ見抜ければ

ジャグラーガールやゴーゴージャグラーの

設定6を打てたので月に一度通っていた。
2003年パチスロ!ジャグラーは設定1でも勝てる甘い機種『ジャグラーガール』で喰っていた開店プロ時代。

16227960400.jpeg


L店は郊外にあった中型のパチスロ専門店で

今は閉店しているが、当時はまだまだ活気があって

客もそれなりに入っていた。

パチスロ専門店だけあって、イベントになると

プロも多かったわけだが、ガールやゴージャグに

関してはライバルはゼロで、この月一イベントの日は

ほぼ設定6をツモっていたわけだ。
※この月一イベントの内容は夜7時頃に
設定5と6の発表を札刺しで行う。



・・・で、このL店にはコーヒーワゴンの

サービスを行っており、若くて可愛らしい

女性が多かった。

その中で一人笑顔が非常に可愛い

身長は150センチあるかないかの

小さい女性が居たのだが、私はその子を

気に入って、その子が島に来るたびに

よくコーヒーを買うようになったのである。

そのおかげもあってか、そのうち世間話を

する仲になり、ある時、打ち子を雇って

ジャグラーと猪木?か何かの2台設定6を

ツモり、ついテンションが上がってしまい

例のコーヒーレディにちょっかいをかけてしまった。


「すごい、今日出てますねー!」

「まあたまたまだよ」


ここまではいつも通りの会話だ。

だが、この日の私はスケベだった。


「コーヒー3杯買うからメアド教えて」

「え~、1杯でいいよw」


あっさりと成功。

と言っても、それまでに世間話はしており

雰囲気は悪くはなかったので、メールアドレスくらいなら

教えてくれそうな感じはしていたのだ。

とは言え、私も最低月一でL店に通う客だし

断りにくかったのもあるかもしれないため

問題はこの後である。


私は稼働が終わってから彼女が耳打ちしてきた

アドレスにすぐにメールをする。


「今日はいきなりごめんね!」


すると一分も経たないうちに返信があり


「全然大丈夫!ちょっとびっくりしたけどw」


その後もありきたりな当たり障りのない

メールのやり取りを小一時間続け、それから

毎日メールをするようになり、徐々に

仲を深めていったわけだ。



■コーヒーレディのりさ
L店で知り合ったコーヒーレディの彼女は

当時21歳で、名前はりさ。

彼女はほとんどパチンコ・パチスロは

打たないのだが、制服が可愛いということで

このアルバイトを始めたそうだ。

ただL店には変な客が多かったようで

連絡先を聞かれたり、しつこい客も居たようで

すぐにでも辞めたかったようである。


・・・で、メアドを聞いて晩飯に誘ってからの

展開は早かった。

初デートは焼き肉を喰いに行き、カラオケに

行って私の家に泊まった。

そして翌日には付き合うことになったのである。

16227735020.jpeg


ここまでは理想的な展開だったのだが、私が

スロプロだということに対しては、あまり

良くは思っていなかったのだろう。

この稼業であるが故、デートの約束をしても

高設定をツモってしまった場合、すぐには

ヤメられない。

これが爆裂機時代の6であれば

もちろん閉店まで打つため、どんなに早くても

デートは夜の11時以降になるわけだ。

幸い時代は4,5号機であり、設定6でも

高くて120%ちょっとの台だったため

早上がりしてもそこまでの損失は無いが

待たせることも多かった。

ギャンブルをほぼしない彼女にとって

パチスロで喰うということ自体、当然

理解できることではなく、「仕事して」とまでは

言われなかったが、私もそういう雰囲気を察してか

彼女とパチンコ・パチスロの話をすることは

ほとんどなかった。


・・・それでもお互いの家に泊まりに行って

料理を作ってくれたり、旅行に行ったりして

愛を育んでいった。

社会の粗大ゴミである無職のスロプロが

まだ20歳そこそこのキャピキャピしたギャルと

付き合えただけ有難い。

おっさんになった今ではパチ屋のコーヒーレディと

付き合うことなど到底あり得ない

話である。

そんな彼女にフラれるのだけは絶対に

あってはならない。

私はできるだけ優しく、大事にした。

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・・・が、それも長くは続かなかった。

徐々に彼女の態度が変わっていったのは

年が明けた2004年のこと。

いつもは週末になると泊まりに来ていた彼女も

来なくなり、私もオープンしたばかりの店があり

稼働に専念していた。

原因は定かではないが、おそらく彼女と私の

スロプロへの考え方の違いだろう。

トドメに、ある時私はメールで彼女の名前を

言い間違えて昔の彼女の名前を送ってしまい

カンカンに怒らせてしまったのである。


「彼氏が無職だと親に紹介できない」


2004年にもなると、私はスロプロとして

このまま続けてもいいのか、将来を

悩み始めていた頃で、そんな時に

言われた言葉。

ここで違う選択をしていれば、今頃

幸せな家庭を築き、真っ当な人生を

歩んでいたのかもしれないが、私は

結果的に彼女に背を向けた。


相手がまともな女性であれば、自分が

パチンコ・パチスロで生活していることは

良く思わない。

ただそれを否定されるということはある意味

人生を否定されているということでもあり

それが嫌だった私は、理解してくれることを

求めてしまったのである。


・・・彼女と別れてからもL店の月一イベントには

通っていた。

ただ、そこに彼女の姿はなく、K店は

5号機時代を待つことなく閉店。

私の数か月の小さな思い出はこうして音もなく

崩れ去ったわけだが、あれから18年経った今

過去の自分に会えるのならばきっと

こう忠告するだろう。


『パチンコ・パチスロは金を稼ぐ手段として
打つものではなく、あくまで娯楽として
打つものだ、その方が幸せである』



と。




シェアして皆に教えよう!

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コメント

No title

専業で幸せを得る人はほんのひと握りとゆうのが伝わりました。

あおさん@管理人

> 専業で幸せを得る人はほんのひと握りとゆうのが伝わりました。

今まで色んなパチプロを見てきましたが大体の人間は不幸せな顔をしてますな。

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プロフィール

パチプロあおさん

Author:パチプロあおさん
生涯収支が1億円を突破した
現役パチプロでプロ歴1998年~。
北海道出身。
パチンコ歴1994年~・パチスロ歴1995年~。
(1993年に初めてゲーセンでパチンコを打つ)
日々の稼働や収支、最新台の解析情報や
これまでの軌跡について記事にしています。
稼働日数7000日突破。


~経歴~
1994年頃、兄貴に連れられ初めてパチ屋に入る。
(子供の頃にもパチンコを打ったことはあるが)。
1998年、パチプロになる。
2015年、生涯収支が1億円を超える。
2015年9月、当ブログ開設。

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