今も昔も台の隙を付いて、その台のポテンシャル
以上の玉やコインを抜く攻略プロ達。
ただ月日が経つにつれて、台の性能は向上し
彼らのようなプロは減っている。
もちろん攻略プロにはゴトも含まれるが、今回
紹介するのは私が90年代後半に某パチンコ屋で
知り合った、ゴトではない、いわゆる正統派?の
攻略プロの話。
■風神雷神の島で出会ったOこれまでに私が知り合った様々な攻略プロや
ネタプロの話は紹介しているが、インチキで
適当な連中も多かった。
ただ今回は彼らよりも圧倒的にレベルが高い
とあるOという推定30代後半の男の話で
見た目は至って普通の兄ちゃんだった。
彼と知り合ったのは今は亡きD店という
パチンコ屋。

常連の爺さん婆さんや、裏モノを好むチンピラが
居るような昔ながらの中型店。
私はこの店でよくボルキャニックを打っていたのだが
その後継機が導入されたのは1999年春頃のこと。
その名も『風神雷神』である。

©マックスアライド
本機は準完全告知のAタイプマシン。
2種類のビッグ絵柄を搭載しており
どちらで揃えるかで獲得枚数に大きな違いがあった。
で、この機種にはボルキャニック同様に裏モノが
各地で存在しており、やがて攻略プロの間で
攻略法の存在が出回るようになる。
1999年パチスロ!タイマー攻略セット打法!『風神雷神』の思い出。
■Oの立ち回りと驚愕の月間収支D店ではボルキャニックの他に
ハナビやジャグラーV(裏モノ)、導入されたばかりの
イプシロンをよく打っていたと思うのだが、この
風神雷神に関しては数える程度しか
打った記憶がない。
いつも朝一では先頭のプロ連中が
その島のほとんどを埋めていたため
私はジャグラーVのリセットモーニングを
打ち、それを取り切ったらハナビや
イプシロンで設定判別を掛けるというのが
朝の立ち回りだった。
・・・で、私もまだまだプロとしては
ペーペーで若く、仲間に引き入れようと
していたのかは不明だが、ある日、朝一の
並びの最中にOに話し掛けられた。
「風神雷神は打たないの?」「打ってないです、あれ裏モノですよね?」そう聞くとOは頷き、それ以上は語らなかった。
この時期はD店にほぼ毎日行っていたので
顔を合わせることはあったのだが、話しをしたのは
これが初めてだった。
彼も私と立ち回りが似ており、風神雷神が
導入されてからはOはそればかりになってしまったが
とにかく私を軽く意識していたのか、話すきっかけが
欲しかったのかはわからないが
その日私が風神雷神の後ろにあるハナビを
打っていたところ、彼からこっそりとこう
耳打ちされた。
「この台攻略法あるんだよね」「ほんとですか!?」驚くような表情をする私の反応に嬉しくなったのか
彼は何から何まで手順を私に話してしまう。
手順に関しては
1999年パチスロ!タイマー攻略セット打法!『風神雷神』の思い出。を
参照していただくとして、とにかく今度
試してみようということで、Oが店に居る時に
打ってみようとしたわけだが、丁度その日に
発売された攻略誌に風神雷神のタイマー攻略法が
堂々掲載されていた。
翌日のD店の風神雷神の島には、カラ回しや休憩は
ご遠慮願います、などと言った張り紙が貼られ
私がオイシイ思いをすることはほとんどなかった
というわけだ。

・・・ちなみにOとはその後、D店では
顔を合わすことはなかったが、他店でまた
会うようになってからは連絡先を交換し、飲みに
連れて行ってくれたりと可愛がってもらうようになった。
彼はいわゆる攻略グループの親玉で
打ち子を複数人使い、いくつかの設置店に散らばって
徹底的に抜いていたようで、風神雷神だけで月に
1000万勝ったという。
今でこそ、パチンコ・パチスロにおいて人を雇う
という行為は浸透したが、この頃はまだ
この手のグループは少なく、一人で立ち回る
ピンのプロが多かった。
そのため、ライバルは少なく、店回りをして
優良店を見つけるとそこに打ち子を送る。
ただ時代がまだ時代だけに、そんなことをしていたら
当然店の常連達と度々揉めるようで
彼は何度か攫われたというのだ。
・・・ちなみにこの時、Oに彼のグループに
日当2万円で誘われたのだが断った。
目を瞑っても勝てた甘い時代に打ち子を
やる馬鹿がどこに居るのかという話である。
彼とはその後も店で会うと、夜飯を食べに
行ったりしていたのだが、徐々に顔を
見なくなり、4,5号機が登場する頃には
一切見掛けることは無くなっていた。
話によると打ち子に対しては日当2万ではなく
実際はかなりのケチであり、打ち子のほとんどを
時給500円で使っていたという話で
そのせいなのか彼のグループは解散したという。
・・・あれから20数年。
今Oは60歳くらいになっているだろう。
一度14年くらい前の5号機初期の頃に
彼の電話番号から電話が掛かってきたことが
あるが、私は出ることはなかった。
腐っても攻略プロの元親玉だ。
おそらく貯蓄はあるのだろうが、私が
今まで数多くの元パチプロを見てきた限りでは
幸せになった者は一人も居ない。
そういうわけで、電話に出なかった理由は
きっとろくでもない用事なのだろうと思ったから
である。
月に1000万勝とうが、何をしようが、結局
社会のレールから外れたパチプロは
まともで幸福な人生を歩むことは
決してできないのである。
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http://mitihazure.blog.fc2.com/blog-entry-1648.htmlパチンコ・パチスロだけで一か月で1000万勝った攻略プロ『O』の思い出
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