パチスロ名機物語外伝17~初の一万枚射程圏内!爆裂CT機『ウルトラマン倶楽部3』登場~
- 2016/08/16
- 11:34
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
これは生涯収支が一億円を突破した
現役パチプロあおさんの過去の話を
綴った物語である。
■1998年頃
※CTとは・・・いずれかのリールを無制御にし
自由に小役を揃えられる状態のこと。
1998年に爆裂CT機として登場した
『ウルトラマン倶楽部3』
通称マンクラ。

©サミー
■ボーナス確率
設定1:1/256
設定2:1/244
設定3:1/234
設定4:1/224
設定5:1/210
設定6:1/143
※CT突入率・・・全設定共通1/2
■機械割
※メーカー発表値
設定1:94,4%
設定2:96,5%
設定3:98,8%
設定4:100,9%
設定5:104,4%
設定6:118,6%
赤ビッグ終了後ならば100GのCTに
突入する仕様だ。
※青ビッグ終了後は非突入
設定6はエクストラで裏物でなくとも
終日打てば一万枚は十分射程圏内。
この頃から設定6のみ夢のハイスペックという
機種が数多く生まれていくことになる。
ちなみにCT機として初登場したのは
ネットのタイアップパチスロ機
『クロスCT』
この機種はCT機には珍しく、レギュラーを
搭載していた。
※普通はビッグのみのBタイプ
ネットはこの他にも『フライングアイズVCT』と
呼ばれるハズシのできない大量獲得CT機を
発売している。
私がCT機に初めて手を付けたのが
このマンクラだが、最初は知らずに打ったため
CTをすぐにパンクさせてしまうという失態を
犯した思い出がある。
※基本的にCT中は純増が200枚付近に
到達するまでは、左リールに黒チェリーを狙って
毎回14枚を取るが、上級者はビタ押しが
要求されるレッドキング揃い(15枚)で
増やしていた。
CT機を打ち込むことになったきっかけは
マンクラの後継機である
『ジャパン2』だった。
サミーではお馴染みの予告音
『ジュワン』の初代である。
※のちのディスクアップなどに継承
ただマンクラが登場した頃は
ユニバーサルの技術介入機全盛時代。
私は夢のあるCT機よりも、この頃は
いつも設定56ばかりの
『クランキーコンテスト』を打っていた。
※1996年ユニバーサルから登場
その他には『サンダーV』で業界初の
※1997年メーシーから登場
チャンス予告演出を楽しんだり
『レッツ』でビタハズシに挑戦したり
※1997年メーシーから登場
Aタイプを好んで打っていた。
当時の私はまだ直視ができなかったため
ビタハズシには苦労した覚えがある。
マンクラの登場により合法パチスロ機で
一万枚も夢ではなくなった世紀末。
私はAタイプでコツコツ日銭を稼いでいたが
やはり一万枚は出してみたいとの願望は
少なからずあった。
※初の一万枚はビーマックスで達成した
で、マンクラでCT機が話題となり
後にエレコから登場した
『アステカ』で
CT機人気が一気に爆発する。
※1999年エレコから登場

©エレコ
見やすいデカチリと簡単手順で
初心者にもCTを消化できる仕様だったので
目押しが苦手な人でも、この機種の登場により
CT機は受け入れられるようになる。
実際アステカの新装には私も何度か参加して
オイシイ思いをしている。
彼女とのデートをすっぽかしてまで
新装に参加した時は
CTの1/2が全く引けずに、惜しくも
一万枚には届かずに8000枚強の出玉だった。
アステカ人気は後の『ワードオブライツ』や
『デルソル』へと続くが、CT機はその後
AT機やST機の登場で人気は下火となり
消えていくことになる。
当時の私は学校をヤメてパチプロに
なりたての小僧。
マンクラやアステカの登場時期は
自分の人生の第一の転機でもあった。
『パチスロで食う』というこの決断が
果たして正しい選択だったかどうかは
今自分がよく分かっているつもりである。
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
さて次回は・・・

『超人気スロット日記ランキング ブログ村』
今日の稼働は休み。
明日はお盆明け一発目でイベントを
開催する店は多いが、どこに行くか
何を打つかは明日夜の更新で!
ユニバーサルの技術介入機全盛時代。
私は夢のあるCT機よりも、この頃は
いつも設定56ばかりの
『クランキーコンテスト』を打っていた。
※1996年ユニバーサルから登場
その他には『サンダーV』で業界初の
※1997年メーシーから登場
チャンス予告演出を楽しんだり
『レッツ』でビタハズシに挑戦したり
※1997年メーシーから登場
Aタイプを好んで打っていた。
当時の私はまだ直視ができなかったため
ビタハズシには苦労した覚えがある。
マンクラの登場により合法パチスロ機で
一万枚も夢ではなくなった世紀末。
私はAタイプでコツコツ日銭を稼いでいたが
やはり一万枚は出してみたいとの願望は
少なからずあった。
※初の一万枚はビーマックスで達成した
で、マンクラでCT機が話題となり
後にエレコから登場した
『アステカ』で
CT機人気が一気に爆発する。
※1999年エレコから登場

©エレコ
見やすいデカチリと簡単手順で
初心者にもCTを消化できる仕様だったので
目押しが苦手な人でも、この機種の登場により
CT機は受け入れられるようになる。
実際アステカの新装には私も何度か参加して
オイシイ思いをしている。
彼女とのデートをすっぽかしてまで
新装に参加した時は
CTの1/2が全く引けずに、惜しくも
一万枚には届かずに8000枚強の出玉だった。
アステカ人気は後の『ワードオブライツ』や
『デルソル』へと続くが、CT機はその後
AT機やST機の登場で人気は下火となり
消えていくことになる。
当時の私は学校をヤメてパチプロに
なりたての小僧。
マンクラやアステカの登場時期は
自分の人生の第一の転機でもあった。
『パチスロで食う』というこの決断が
果たして正しい選択だったかどうかは
今自分がよく分かっているつもりである。
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
さて次回は・・・

『超人気スロット日記ランキング ブログ村』
今日の稼働は休み。
明日はお盆明け一発目でイベントを
開催する店は多いが、どこに行くか
何を打つかは明日夜の更新で!
シェアして皆に教えよう!
- 関連記事
-
パチスロ名機物語外伝19~パチスロで過去最高負け額を更新した日?~
パチスロ名機物語外伝18~祝!一攫千金A700タイプ「大ハナビ」設定6で一万枚?~
- パチスロ名機物語外伝17~初の一万枚射程圏内!爆裂CT機『ウルトラマン倶楽部3』登場~
パチスロ名機物語外伝15~平和パチスロの歴史、思い出の第一弾機種とは?~
パチスロ名機物語外伝14~初のグランドオープン狙いで初代バーサスを打つ小僧~