2号機&3号機の名機を求めて日本一有名なパチ屋に旅打ちへ~パチスロ名機物語外伝39~
- 2017/05/21
- 12:27
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
これは生涯収支が一億円を突破した
現役パチプロあおさんの過去の話を
綴った物語である。
■2003年頃
ストック機が盛り上がりを見せていた2003年。
みなし機種問題で昔の名機がもう打てなくなる
ということで、撤去される前に打ちに行こうと
当時、度々旅打ちをしていた私。
その中で彼女と旅行がてら行ったのが
東京。
季節はちょうど真夏。
吹き出る汗を拭いながら学生時代の
同級生と合流し目的のパチ屋に到着。

『グリンピース新宿本店』
この店は全国でも有名で、古い台は現役で
稼働しており、7枚交換ではあったが
高設定をバリバリ使っていた。
早速店内へ入ると過去の名機達が
ズラリと並んでいた。

©アークテクニコ
1988年登場の2号機「アニマル」
今は亡きアークテクニコの代表作だ。
枚数吸い込み方式を採用したこの機種は
最大39枚以内の天国モードと最大800枚以内の
地獄モードで構成されており、2号機を代表する
爆裂機。
ただし2号機で枚数吸い込み方式は
禁止されており、後に「アニマルG」として
リメイクされている。
この機種は今でいうところのゴッド。
地獄モードをループし続ければ
永遠とハマってしまうため、かなり
危険なマシンでもあった。
とりあえず危険なアニマルは素通りして
続いて目に留まったのがコチラ。

©オリンピア
1990年登場の2号機
「スーパーバニーガール」
地元でも何度か打ったことはあるが
その当時は目押しもままならない素人で
全く仕様を理解していなかったため
楽しめなかった。
ただそれから月日は流れて知識も目押しも
それなりに上達した私。
ハサミ打ちでズレ目が出現すれば
小役のこぼしかボーナスということは
知っていたので、今なら楽しめるだろう
ということで、まずはコイツを打つことに。
左リール中段チェリーからの右下がり
スーパー揃いで懐かしの草競馬を
十分堪能した後は、最後は思い入れの
深いコレだ。

©山佐
1990年登場の3号機「スーパープラネット」
山佐の3号機第一弾として登場したこの機種は
当時裏モノ全盛時代と呼ばれた中でも
大量リーチ目ノーマルマシンで、大ヒットを
記録したマシンである。
この機種は私が素人の時に初めて
リーチ目を覚えたマシンでもある。
それはチェリーハサミの右土星という
いわゆる成立後の出目だったが、これを
隣に座っていたリーチ目マニアの兄ちゃんに
教わったのが最初。
出目の素晴らしさはこの時覚えたもので
それから自分でリーチ目を研究していくという
私のパチスロ人生の基礎を作ったとも言える
機種である。
というわけで友人は4号機のグランシエルの
島へ、私はスープラに腰を下ろして
早速打ち始めることに。
7枚交換だからなのか、イベントだからなのか
よくわからないが、とにかく狙えばリーチ目が
止まる。
土星絡みのトリテンハズレや中右下段7テンパイ
左上段7(枠上ベル)からの右下がり
7テンパイや枠上7などの変則リーチ目を
全て拝ませてもらい、気が付けば
3000枚オーバーの快勝となった。
友人とはそのまま別れ、時間は夜8時。
ホテルに戻り、日中は別行動を取っていた
彼女を連れて、ドブ臭い夜の新宿を歩く。
結局パチスロを打ったのは2泊3日のうち
初日だけだったが、旅打ちはみなし機問題で
これが本当に最後の旅打ちとなった。
好きなパチスロを打ち、好きな食い物を食い
金と女には何不自由することなかった
あの頃。
楽しかったとはいえど、好き勝手
生きてきたその結果が、今の私の
惨めなパチスロ人生を物語っていることだけは
確かである。
古い名機達と同じように、私がパチプロとして
淘汰される日は近いのかもしれない。
続いて目に留まったのがコチラ。

©オリンピア
1990年登場の2号機
「スーパーバニーガール」
地元でも何度か打ったことはあるが
その当時は目押しもままならない素人で
全く仕様を理解していなかったため
楽しめなかった。
ただそれから月日は流れて知識も目押しも
それなりに上達した私。
ハサミ打ちでズレ目が出現すれば
小役のこぼしかボーナスということは
知っていたので、今なら楽しめるだろう
ということで、まずはコイツを打つことに。
左リール中段チェリーからの右下がり
スーパー揃いで懐かしの草競馬を
十分堪能した後は、最後は思い入れの
深いコレだ。

©山佐
1990年登場の3号機「スーパープラネット」
山佐の3号機第一弾として登場したこの機種は
当時裏モノ全盛時代と呼ばれた中でも
大量リーチ目ノーマルマシンで、大ヒットを
記録したマシンである。
この機種は私が素人の時に初めて
リーチ目を覚えたマシンでもある。
それはチェリーハサミの右土星という
いわゆる成立後の出目だったが、これを
隣に座っていたリーチ目マニアの兄ちゃんに
教わったのが最初。
出目の素晴らしさはこの時覚えたもので
それから自分でリーチ目を研究していくという
私のパチスロ人生の基礎を作ったとも言える
機種である。
というわけで友人は4号機のグランシエルの
島へ、私はスープラに腰を下ろして
早速打ち始めることに。
7枚交換だからなのか、イベントだからなのか
よくわからないが、とにかく狙えばリーチ目が
止まる。
土星絡みのトリテンハズレや中右下段7テンパイ
左上段7(枠上ベル)からの右下がり
7テンパイや枠上7などの変則リーチ目を
全て拝ませてもらい、気が付けば
3000枚オーバーの快勝となった。
友人とはそのまま別れ、時間は夜8時。
ホテルに戻り、日中は別行動を取っていた
彼女を連れて、ドブ臭い夜の新宿を歩く。
結局パチスロを打ったのは2泊3日のうち
初日だけだったが、旅打ちはみなし機問題で
これが本当に最後の旅打ちとなった。
好きなパチスロを打ち、好きな食い物を食い
金と女には何不自由することなかった
あの頃。
楽しかったとはいえど、好き勝手
生きてきたその結果が、今の私の
惨めなパチスロ人生を物語っていることだけは
確かである。
古い名機達と同じように、私がパチプロとして
淘汰される日は近いのかもしれない。
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