「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
これは生涯収支が一億円を突破した
現役パチプロあおさんの過去の話を
綴った物語である。
■2000年冬頃山佐初のツインビッグボーナスを搭載した
機種であり、シーマスター同様テトラリールを
搭載した名機、ハイパーラッシュは
2000年に登場した。

©山佐
※ボーナス確率
設定1:B1/348,59R1/655,36
設定2:B1/315,07R1/606,81
設定3:B1/292,57R1/564,96
設定4:B1/273,06R1/528,51
設定5:B1/256,00R1/496,48
設定6:B1/240,94R1/364,08
※機械割
(メーカー発表値)
設定1:92,8%
設定2:97,1%
設定3:98,4%
設定4:100,6%
設定5:107,3%
設定6:112,6%
この頃の山佐は個人的に最も好きであり
シーマスター、アラベスク、ハイパーラッシュ
そしてネオプラネットなど、ゲーム性だけでなく
音楽でも楽しませてくれた。
ハイパーラッシュはテトラリールと出目が
絶妙なコンビネーションで絡み合い
場合によっては何でもない停止出目が
1確目や2確目に昇格することもあった。
またリール制御も素晴らしく、あのスープラを
彷彿とさせる枠上7など、ボーナス成立ゲームに
関しては当時ピカイチだった。
スイカ右下がりテンパイや上段白7テンパイ
左上段赤7&右中段赤7(これでビッグ確定)
※いずれも2確。左下段白7&中上段白7&右枠上白7など
テトラに頼らずとも出目だけで酔いしれることも
多かったのである。
さらにこの機種は機械割も高く、ハイパービッグが
連打すればあっという間に5000枚は出ることも
多く、当時としてはハイスペック機であった。
※設定6の機械割は120%以上?
この機種には色々な思い出があるが
今回はよく打ちに行っていた某大型店での
話をしよう。
2000年パチスロ!山佐ナンバー1名機『ハイパーラッシュ』を商店街にあった寂れた思い出のレトロ店で。当時、新台としてハイパーラッシュが導入され
私は家から車で10分ほどの店にタクシーで
よく打ちに行っていた。
というのも車で事故を起こして、足が無く
どの店に行くにもタクシーを使っていたのだ。

そんな雪が降りしきるとある日。
月一イベントを開催する店に朝から
友人とハイパーラッシュを打ちに行くことに
なり、二人でタクシーで向かう。
真冬ということもあり、向かう途中
窓越しから河川敷でキツネを発見し
これは今日良いことがあるだろうと
勝手にワクワクしていた。
で、店に到着。
豪雪の中、小一時間ほどの並びを経て
店内へ。
私には狙い台があったのだが、友人は
特に狙いを決めていなかったので
ハイパーの狙い台は譲ることにして、私は
大花火の狙い台を確保。
この時何故友人に狙い台を譲ったのか
今でも分からないが、結果的にどちらも
狙いが的中したようだ。
この頃は既に私はパチプロとして稼働しており
時代のせいもあってか収支は絶好調。
で、この日、友人に譲ったハイパーラッシュは
どう考えても設定6の挙動で、朝から
全くハマることなく閉店まで出続けて
1万枚の出玉を吐き出し、一方の私の大花火も
設定6ではなかったものの約5000枚の出玉を
ゲット。
音ゲ―パチスロを存分に楽しんでいた友人が
少し羨ましかったことを覚えているが
大花火も十分楽しめたので、今の私なら
乗り打ちにしておけばよかった馬鹿野郎などと
ほざいていただろうが、当時は純粋にパチスロを
楽しんでいたので悔いはなかった。
そして、その友人はその後ゴト師として
私はパチプロとして別々の道を歩むことに
なり、徐々にパチスロへの愛が薄れていった。
当時パチスロを心から楽しんでいた友人も
私も、今思えば一日一日が新鮮だった。
ただパチスロが楽しいと思えなくなったら
スロッターとして失格である。
二人がパチスロを楽しいと思えなくなった
理由は何か。
それはパチンコ・パチスロを知り尽くして
しまったからなのかもしれない。
シェアして皆に教えよう!
http://mitihazure.blog.fc2.com/blog-entry-558.html山佐で一番面白かったパチスロ?音ゲースロット「ハイパーラッシュ」で1万枚の爆裂~パチスロ名機物語外伝41~
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