4号機『クランキーコンドル』の思い出、上段青テン!初めてのリプレイハズシ!~パチスロ名機物語外伝51~
- 2017/07/23
- 10:30
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
これは生涯収支が一億円を突破した
現役パチプロあおさんの過去の話を
綴った物語である。
■1990年代半ば頃
今から22年前の1995年夏
ユニバーサルから勝てるパチスロとして
名機「クランキーコンドル」が登場した。
5号機でもクランキーコレクションや
クランキーセレブレーションなど
シリーズはいくつか登場しており
コンドルはその初代である。

©ユニバーサル
※ボーナス確率
設定1:B1/277R1/482
設定2:B1/264R1/443
設定3:B1/256R1/410
設定4:B1/241R1/390
設定5:B1/241R1/381
設定6:B1/241R1/381
※機械割
設定1:95,0%
設定2:98,2%
設定3:100,3%
設定4:102,5%
設定5:104,7%
設定6:107,1%
上段青7テンパイはあまりにも有名で
世のスロッターを虜にした2リール確定目。
通常時の小役狙い、リプレイハズシを駆使すれば
設定1の機械割は約105%にもなる
激甘スペック。
昔からやっているスロッターならば、誰もが
この機種で甘い蜜を吸った経験のある
名機だろう。
1995年パチスロ!初代『クランキーコンドル』の設定6狙いで大失態を犯した男!
超レア裏モノ!クランキーコンドル状態バージョンを温泉街で見つけたパチンコ屋で打って大爆裂!?
私がこの機種を初めて打ったのは
既に後継機であるクランキーコンテストが
登場してすぐの頃。
兄貴と一緒にパチ屋に行き、よく平台を
打っていたが、その後は1人で行くようになり
コイツを打った。
コンドルの目押し自体はコンテストよりも
簡単で、ハズシは2コマ目押し。
通常時も左リールの上段青7は
毎回一周で止められるので、慣れれば
かなり早く回すことができた。
もちろん最初は目押しもろくにできなかったため
すぐにヤメて、しばらくは他の機種を
打っていた。
ただコンテストや、その後に登場した
レッツやサンダーで目押しを覚え
再びコンドルに挑戦した。
当然コンテストやレッツのビタに比べると
簡単なので、それ以降はコンドルが
無くなるまで打ち込んだ。
当時、既にコンドルブームは過ぎており
目押しを一切禁止したり7枚交換にすることで
ホールは、この激甘スペックの対策をしていた。
※設定配分もほとんど1で裏モノ化する店も
存在した。
そんな世紀末、私が見つけた穴場は
コンドルがズラーっと一島40台ある等価店。
しかも店長がやたら鳥好きなのか
他にもコンテストが20台、新台のアレックスが
20台と、鳥好きにはたまらない店だった。
広い店内であったが、客付きも疎らで
かなり立ち回りやすいのも良い。
さらにデータを見ると、客が付いている
台のボーナス回数はかなり良さげ。
明らかに設定も入れている証拠だ。
ただレバーの玉が取れたり、ストップボタンの
効きが悪く、昔は多くのパチプロが
押し寄せていたであろう形跡は
至るところで見て取れた。
とりあえず私は、コンドルの適当な台に
腰を下ろして勝負開始。
で、しばらくして青テンからそのままビッグ。
意気揚々とリプレイハズシを開始すると
島の端から店員がすっ飛んできた。
「ここ変則押し禁止だから」
この店にパチプロが居ない理由がようやく
分かった。
ただ、それなら張り紙くらい貼っとけこの野郎。
・・・とは言えず、ビッグを消化して
大人しく退店。
当時はこのようなことがたまにあって
実際に目押し禁止の張り紙を貼っている
ホールも存在したのだ。
そんなわけで、その後この店に近づくことは
なくなり、コンドルを打つ際は他にタコスロなど
甘い機種が多く設置してある
別の等価交換の店で打ったりしていた。
その目押し禁止のホールは数年後に
閉店しており、ご飯屋さんになっているが
今考えると、当時からプロ対策を
しっかりしている店のほとんどは
閉店している。
やはりパチンコ屋には、ある程度
魅せ台としてアピールしてくれるプロは
必要である。
が、コンドルは甘過ぎるスペック故に
ホールも打ち手を選ばざる負えない
機種だったので、仕方がなかったのだろう。
10万台以上を売り上げたクランキーコンドルは
技術介入性だけでなく、出目のインパクトや
BGMといったゲーム性も一流だった。
正に「伝説の名機」と呼んでも過言ではない。
既に後継機であるクランキーコンテストが
登場してすぐの頃。
兄貴と一緒にパチ屋に行き、よく平台を
打っていたが、その後は1人で行くようになり
コイツを打った。
コンドルの目押し自体はコンテストよりも
簡単で、ハズシは2コマ目押し。
通常時も左リールの上段青7は
毎回一周で止められるので、慣れれば
かなり早く回すことができた。
もちろん最初は目押しもろくにできなかったため
すぐにヤメて、しばらくは他の機種を
打っていた。
ただコンテストや、その後に登場した
レッツやサンダーで目押しを覚え
再びコンドルに挑戦した。
当然コンテストやレッツのビタに比べると
簡単なので、それ以降はコンドルが
無くなるまで打ち込んだ。
当時、既にコンドルブームは過ぎており
目押しを一切禁止したり7枚交換にすることで
ホールは、この激甘スペックの対策をしていた。
※設定配分もほとんど1で裏モノ化する店も
存在した。
そんな世紀末、私が見つけた穴場は
コンドルがズラーっと一島40台ある等価店。
しかも店長がやたら鳥好きなのか
他にもコンテストが20台、新台のアレックスが
20台と、鳥好きにはたまらない店だった。
広い店内であったが、客付きも疎らで
かなり立ち回りやすいのも良い。
さらにデータを見ると、客が付いている
台のボーナス回数はかなり良さげ。
明らかに設定も入れている証拠だ。
ただレバーの玉が取れたり、ストップボタンの
効きが悪く、昔は多くのパチプロが
押し寄せていたであろう形跡は
至るところで見て取れた。
とりあえず私は、コンドルの適当な台に
腰を下ろして勝負開始。
で、しばらくして青テンからそのままビッグ。
意気揚々とリプレイハズシを開始すると
島の端から店員がすっ飛んできた。
「ここ変則押し禁止だから」
この店にパチプロが居ない理由がようやく
分かった。
ただ、それなら張り紙くらい貼っとけこの野郎。
・・・とは言えず、ビッグを消化して
大人しく退店。
当時はこのようなことがたまにあって
実際に目押し禁止の張り紙を貼っている
ホールも存在したのだ。
そんなわけで、その後この店に近づくことは
なくなり、コンドルを打つ際は他にタコスロなど
甘い機種が多く設置してある
別の等価交換の店で打ったりしていた。
その目押し禁止のホールは数年後に
閉店しており、ご飯屋さんになっているが
今考えると、当時からプロ対策を
しっかりしている店のほとんどは
閉店している。
やはりパチンコ屋には、ある程度
魅せ台としてアピールしてくれるプロは
必要である。
が、コンドルは甘過ぎるスペック故に
ホールも打ち手を選ばざる負えない
機種だったので、仕方がなかったのだろう。
10万台以上を売り上げたクランキーコンドルは
技術介入性だけでなく、出目のインパクトや
BGMといったゲーム性も一流だった。
正に「伝説の名機」と呼んでも過言ではない。
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