1994年パチスロ!完全告知機『初代ジャグラー』の原点となった機種とは?
- 2017/09/29
- 22:49
~パチスロ名機物語外伝74~
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
これは生涯収支が一億円を突破した
現役パチプロあおさんの過去の話を
綴った物語である。
■1994年頃
この年の9月、北電子の4号機第一弾として
登場したのが『クリエーター7』

©北電子
※ボーナス確率
設定1:B1/341,3R1/431,2
設定2:B1/297,9R1/409,6
設定3:B1/277,7R1/381,0
設定4:B1/260,1R1/356,2
設定5:B1/248,2R1/321,3
設定6:B1/240,9R1/297,9
※機械割
設定1:93,5%
設定2:98,5%
設定3:101,6%
設定4:104,8%
設定5:107,6%
設定6:109,6%
当ブログでも何度か紹介したことがある
本機はジャグラーの前身機。
※厳密に言えば、クリエーター7→
サーカス→ジャグラーと続く。
それまで正式には認められていなかった
完全告知機が初めて認可されたのが
このクリエーターのように、4号機に
入ってからである。
ただ当時はまだまだモーニングがあり
そのため、リール左下にある
BONUS CHANCEと書かれた告知ランプは
カットしていた店が多かった。
※店のサービスとして、朝一に
台の電源を入れるとボーナスが
成立していることがあった。
それでもわかりやすいリーチ目と
優れたリール制御、そこそこ効果のある
リプレイハズシ(+約15枚)で、初心者から
マニアにまで人気のあった機種である。
ちなみにジャグラー同様にボーナス絵柄の
一直線はリーチ目となり、中右のドル袋
右リールのリプレイはボーナスの代用絵柄と
なっている。
この頃は私がまだパチスロではなく
兄貴に連れられてパチンコを打っていたか
どうかの時期であり、実際この機種を打ったのは
1996年に初代ジャグラーが登場してからである。
初代ジャグラーが登場してからは、この機種は
ほとんど見掛けなくなったが、それでも
ポツンと設置してある店も中には存在した。
新台からしばらく経ってから私が打ったのは
家から歩いて徒歩20分くらいのところにある
小さな個人経営?のパチ屋。

自動ではない狭い入口を開けると
狭い通路のある小さな島があり、平台から
CR機、そしてパチスロがギッシリと並んでいた。

床はもちろん古臭いベニヤ板で、店員は
パンチパーマのおばちゃん。
この店は2000年になる頃には既に潰れていたが
当時はまだまだ客付きも良く、皆のタバコの煙に
むせ返りながら打っていた記憶がある。
軍艦マーチの音楽や、大当たりした時の
ショボいファンファーレなどが懐かしく
その当時からしても、如何にも
古臭い昭和の雰囲気漂う店であった。
で、この店にひっそり設置してあった
クリエーターだが、今考えると
裏モノだったようだ。
※告知ランプはカットされていなかった。
胡散臭いビッグの連チャンは当時の
裏モノ初心者の私には刺激が強くて
軍資金が数千円ではとても打てず
訳もわからないまま2、3回ビッグが
連チャンしただけで全部飲まれて終了。
実際、この機種を打ったのはこれが
最初で最後であり、正直な感想は
パチスロ初心者の私にとってはクソ台だった。
とは言え、後継機のジャグラーで
人気に火が付き、北電子=完全告知機として
認知されるようになる。
今では年配客の憩いの場となっている
ジャグラーの島。
これは前身機であるクリエーター7が
作り上げたものなのである。
兄貴に連れられてパチンコを打っていたか
どうかの時期であり、実際この機種を打ったのは
1996年に初代ジャグラーが登場してからである。
初代ジャグラーが登場してからは、この機種は
ほとんど見掛けなくなったが、それでも
ポツンと設置してある店も中には存在した。
新台からしばらく経ってから私が打ったのは
家から歩いて徒歩20分くらいのところにある
小さな個人経営?のパチ屋。

自動ではない狭い入口を開けると
狭い通路のある小さな島があり、平台から
CR機、そしてパチスロがギッシリと並んでいた。

床はもちろん古臭いベニヤ板で、店員は
パンチパーマのおばちゃん。
この店は2000年になる頃には既に潰れていたが
当時はまだまだ客付きも良く、皆のタバコの煙に
むせ返りながら打っていた記憶がある。
軍艦マーチの音楽や、大当たりした時の
ショボいファンファーレなどが懐かしく
その当時からしても、如何にも
古臭い昭和の雰囲気漂う店であった。
で、この店にひっそり設置してあった
クリエーターだが、今考えると
裏モノだったようだ。
※告知ランプはカットされていなかった。
胡散臭いビッグの連チャンは当時の
裏モノ初心者の私には刺激が強くて
軍資金が数千円ではとても打てず
訳もわからないまま2、3回ビッグが
連チャンしただけで全部飲まれて終了。
実際、この機種を打ったのはこれが
最初で最後であり、正直な感想は
パチスロ初心者の私にとってはクソ台だった。
とは言え、後継機のジャグラーで
人気に火が付き、北電子=完全告知機として
認知されるようになる。
今では年配客の憩いの場となっている
ジャグラーの島。
これは前身機であるクリエーター7が
作り上げたものなのである。
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