1999年パチスロ!山佐初の超技術介入機『イプシロンR』の思い出。
- 2017/10/03
- 20:01
~パチスロ名機物語外伝76~
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
これは生涯収支が一億円を突破した
現役パチプロあおさんの過去の話を
綴った物語である。
■1999年頃
3月、山佐から初となる超技術介入機が
産声を上げる。
その名も『イプシロンR』

©山佐
※ボーナス確率
設定1:B1/292,6R1/606,8
設定2:B1/277,7R1/565,0
設定3:B1/264,3R1/528,5
設定4:B1/252,1R1/496,5
設定5:B1/240,9R1/468,1
設定6:B1/240,9R1/364,1
※機械割
設定1:98,5%
設定2:101,5%
設定3:104,6%
設定4:107,6%
設定5:110,7%
設定6:113,0%
シンプルかつ渋いデザインの本機は
チャンス予告を搭載したA400タイプマシン。
それまでの山佐の台とは違い、通常時の
小役狙いとビッグ中のリプレイハズシは
効果絶大で、減算値判別も可能と
正にプロ向けの台であった。
フル攻略で挑めば当然のように設定1でも
ペイアウトは100%を超える激甘スペックに
変貌する。
そのおかげもあって、当時のプロには
好まれていた台である。
※一部では裏モノ化していた地域も存在する。
前述したとおり、この台は通常時の
小役狙いにかなりの効果があったが
意外にもリプレイハズシはちゃんとしていても
小役狙いを疎かににしている人が多かった。

チェリーはダイヤチェリーダイヤのチェリーを
狙って必ず角で獲得し、ダイヤとメイン役である
ベルもキッチリ狙うだけで、適当打ちよりも
かなり多く回すことができた。
隣の若い客と全く同じ確率なのに、私の方が
出ていたのは、ハズシではなく
通常時に小役狙いをしていたから。
通常時の小役狙いを意識し始めた
もしくは効果があることを体感したのは
このイプシロンが最初なのである。
ただ当時の山佐の台は独特なリールの回り方や
操作性があまり良くなかったため
好きではなかった。
※ウエイトをかけるといずれかのリールが
先に回り出す。
それでもそれを補うほどゲーム性も
素晴らしかった。
左リールの停止位置によって
テーブル制御とコントロール制御を
切り替えているという方式のおかげで、リーチ目
だけでなくスベリでボーナスを察知することも
可能だったのだ。
またリプレイ成立の次ゲームはリール制御が
変化し、赤7がテンパイすると2リール確定になる
といった独自のゲーム性も採用されていた。
1999年の新台当時、ちょうど私が通っていた
某店に一列導入された。
クランキーコンテストの対面に設置された
この機種の最初の印象はパネルデザインが
カッコいいというか渋いというか、それまでの
山佐のイメージとは一線を介していた。
ただ山佐の台はあまり好きではなかったため
私はしばらく打たずにコンテストばかり
打っていた。
それでも技術介入の効果の高さを知り
打ってみると、かなりオイシイ機種であることは
すぐに気が付いた。
判別の結果から、その店にはほぼ毎日
コンテスト同様に設定5を入れていたが
大体が据え置きで、ある程度出ると
設定を下げられ、今度は他の台に入る
というパターンの繰り返しだった。
この法則はイプシロンがシーマスターに
入れ替えられる日まで続いた。
※当然、割的にも技術的にも
コンテストよりこっちの方が勝てたし
簡単だった。
私のお気に入りだった20歳そこそこの
女店員にも
「いつも出してるよね~」
なんて言われたりしてデレデレしながら
毎日その店員とイプシロンを目当てに
打ちに通っていた。
・・・が、ある日の夕方頃、稼働中に
私は電話をしに店の外に出ると
店の前にスポーツカーが停まり
その女店員が助手席から出てきた。
(くそー男居たのかよ・・・)
そう思いながらも、遅番で彼氏に送ってもらった
であろう女店員は気まずそうにそそくさと
店の中に入っていった。
で、イプシロンの島は客付きも悪く
4か月ほどで入れ替えられてしまうと同時に
その女店員も辞めてしまった。
で、実はこの店員。
他店でバッタリ会った時に
連絡先を交換しているのだが
店を辞めて以来、一切連絡が取れなく
なってしまった。
男が居るのは分かっていながらも
ムフフな展開は可能だったのだが
その店のイプシロンの甘さが邪魔して
結局遊んだのは飯を食っただけの一度きり。
せっかくの人生の期待値をイプシロンのせいで
棒に振ったわけだが、今考えると
女よりもパチスロに走って良かったのか。
イプシロンは私のパチスロ貯金を
作った機種の一つでもあるが、悪銭身に付かず。
今はほとんど金なんて残っていない
ということから、やはりパチスロの
期待値よりも人生の期待値。
イプシロンはかなりの名機だったが
それと同時に苦い思い出も、この機種には
詰まっているのである。
小役狙いにかなりの効果があったが
意外にもリプレイハズシはちゃんとしていても
小役狙いを疎かににしている人が多かった。

チェリーはダイヤチェリーダイヤのチェリーを
狙って必ず角で獲得し、ダイヤとメイン役である
ベルもキッチリ狙うだけで、適当打ちよりも
かなり多く回すことができた。
隣の若い客と全く同じ確率なのに、私の方が
出ていたのは、ハズシではなく
通常時に小役狙いをしていたから。
通常時の小役狙いを意識し始めた
もしくは効果があることを体感したのは
このイプシロンが最初なのである。
ただ当時の山佐の台は独特なリールの回り方や
操作性があまり良くなかったため
好きではなかった。
※ウエイトをかけるといずれかのリールが
先に回り出す。
それでもそれを補うほどゲーム性も
素晴らしかった。
左リールの停止位置によって
テーブル制御とコントロール制御を
切り替えているという方式のおかげで、リーチ目
だけでなくスベリでボーナスを察知することも
可能だったのだ。
またリプレイ成立の次ゲームはリール制御が
変化し、赤7がテンパイすると2リール確定になる
といった独自のゲーム性も採用されていた。
1999年の新台当時、ちょうど私が通っていた
某店に一列導入された。
クランキーコンテストの対面に設置された
この機種の最初の印象はパネルデザインが
カッコいいというか渋いというか、それまでの
山佐のイメージとは一線を介していた。
ただ山佐の台はあまり好きではなかったため
私はしばらく打たずにコンテストばかり
打っていた。
それでも技術介入の効果の高さを知り
打ってみると、かなりオイシイ機種であることは
すぐに気が付いた。
判別の結果から、その店にはほぼ毎日
コンテスト同様に設定5を入れていたが
大体が据え置きで、ある程度出ると
設定を下げられ、今度は他の台に入る
というパターンの繰り返しだった。
この法則はイプシロンがシーマスターに
入れ替えられる日まで続いた。
※当然、割的にも技術的にも
コンテストよりこっちの方が勝てたし
簡単だった。
私のお気に入りだった20歳そこそこの
女店員にも
「いつも出してるよね~」
なんて言われたりしてデレデレしながら
毎日その店員とイプシロンを目当てに
打ちに通っていた。
・・・が、ある日の夕方頃、稼働中に
私は電話をしに店の外に出ると
店の前にスポーツカーが停まり
その女店員が助手席から出てきた。
(くそー男居たのかよ・・・)
そう思いながらも、遅番で彼氏に送ってもらった
であろう女店員は気まずそうにそそくさと
店の中に入っていった。
で、イプシロンの島は客付きも悪く
4か月ほどで入れ替えられてしまうと同時に
その女店員も辞めてしまった。
で、実はこの店員。
他店でバッタリ会った時に
連絡先を交換しているのだが
店を辞めて以来、一切連絡が取れなく
なってしまった。
男が居るのは分かっていながらも
ムフフな展開は可能だったのだが
その店のイプシロンの甘さが邪魔して
結局遊んだのは飯を食っただけの一度きり。
せっかくの人生の期待値をイプシロンのせいで
棒に振ったわけだが、今考えると
女よりもパチスロに走って良かったのか。
イプシロンは私のパチスロ貯金を
作った機種の一つでもあるが、悪銭身に付かず。
今はほとんど金なんて残っていない
ということから、やはりパチスロの
期待値よりも人生の期待値。
イプシロンはかなりの名機だったが
それと同時に苦い思い出も、この機種には
詰まっているのである。
シェアして皆に教えよう!
- 関連記事
-
1999年パチスロ!タイマー攻略セット打法!『風神雷神』の思い出。
2003年パチスロ!業界初の1ライン機&疑似リール?『キングキャメル』の思い出。
- 1999年パチスロ!山佐初の超技術介入機『イプシロンR』の思い出。
過去最高に興奮したフリーズ!ドット搭載の沖スロ『めんそーれ』のクラッシュ。
1994年パチスロ!完全告知機『初代ジャグラー』の原点となった機種とは?