2003年パチスロ!業界初の第四のストップボタンを搭載した『ギガフィーバー』を語る。
- 2017/10/20
- 13:47
~パチスロ名機物語外伝82~
「パチプロは決して幸せにはなれない。
だからこそこうしてパチスロで酒代を稼ぎ
今日も酒を飲む。」
これは生涯収支が一億円を突破した
現役パチプロあおさんの過去の話を
綴った物語である。
■2003年頃
ストック機が主流になるつつあった
この年の5月、ダイドーからハイエナマシンが
登場する。
その名も『ギガフィーバー』

🄫ダイドー
※ボーナス確率
設定1:B1/316R1/1300
設定2:B1/306R1/1300
設定3:B1/279R1/1300
設定4:B1/247R1/1300
設定5:B1/228R1/1300
設定6:B1/218R1/1300
※機械割
設定1:94%
設定2:96%
設定3:100%
設定4:106%
設定5:110%
設定6:115%
【基本仕様】
業界初の4thボタンを搭載したこの機種は
次回ボーナスが確定する確変ギガボーナスを
搭載したストック機。
成立したビッグは全てストックされ
モードによって放出プレイ数が変化する。
レギュラーの場合は1つのみストックされ
ビッグ終了後1G目に放出される。
天井は最大1345G。
【当時の思い出】
当時、この機種はハイエナマシンとして
かなりオイシイ思いをした。

正直、この頃は出玉規制により
爆裂AT機が無くなりつつあったが
それでも設定6をツモった方が大きく
勝てたし、待つことが嫌いだった私は
ハイエナ自体好きではなかった。
それでもAT機の6をツモれなかった時の
保険として世話になった機種である。
当時オープンして間もない某店では
この機種が一列導入されたものの
知識が浸透しておらず、打てるゲーム数が
ゴロゴロ落ちていた。
しかも中には高設定も混じっていたため
何度かハイエナで打って、結果的に
設定6だったなんてことがよくあった。
ちなみに設定6は簡単に判別が可能で
通常時のチェリー確率、もしくは
ビッグの放出確率がハズレ時の1/29になる
ギガチャンスの継続ゲーム数で分かる。
※30p続けばほぼ設定6。
最初は設定6もあり、ライバルも少なかったが
雑誌などに解析が乗り始めると、徐々に
打てる台が無くなっていった。
その店は場所も場所だけに客が
集まりにくかったのだが、気が付けば
ギガフィーバーの島はハイエナだらけに
なっていた。
出玉感もあり、ゲーム性もなかなか
面白かったのだが
業界初の第四のストップボタンを
搭載した本機は、ハイエナ野郎の
餌食となって、大して人気も出ずに
消えていったのである。
やはり海一番、海物語同様、確変機能を
搭載したストック機は結局ハイエナマシンとして
最後はゾーン抜けの台ばかりで
客が飛ぶという現象が起こってしまう。
この頃は辛めのストック4,5号機が多く
たしかに設定狙いよりもハイエナの方が
勝てることもあった。
爆裂王のレギュラー天井狙いや海シリーズ
そしてこのギガフィーバー等々
期待値で言えば今の5号機の何倍もあったので
近場の店をグルっと一周するだけで
簡単に2~3万勝てたのだ。
この時はハイエナだけで時給は5000円を
超えており、とある店では店内を一周すれば
必ずハイエナ台が落ちているという
まさにハイエナバブルであった。
それが私が一時期ハイエナ専門として
動いていた2003年後半のことである。
閉店前に宵い越し天井や残りものの台を
チェックしたら、翌日は昼過ぎに起きて
テコと一緒に適当にパチ屋を回る。
※残りものがあった場合は朝一からだが。
こんな楽で稼げる生活が半年以上も続くわけだが
その後、2004年にはハイエナ特化ストック機の
時代も終焉を迎え、私は再び設定狙いメインで
立ち回ることになる。
どのパチ屋の客も減り始めていたが
パチスロ史上最大のセールスを誇る
初代『北斗の拳』が登場して、再び
パチスロ業界は活気を取り戻すのである。
当時、この機種はハイエナマシンとして
かなりオイシイ思いをした。

正直、この頃は出玉規制により
爆裂AT機が無くなりつつあったが
それでも設定6をツモった方が大きく
勝てたし、待つことが嫌いだった私は
ハイエナ自体好きではなかった。
それでもAT機の6をツモれなかった時の
保険として世話になった機種である。
当時オープンして間もない某店では
この機種が一列導入されたものの
知識が浸透しておらず、打てるゲーム数が
ゴロゴロ落ちていた。
しかも中には高設定も混じっていたため
何度かハイエナで打って、結果的に
設定6だったなんてことがよくあった。
ちなみに設定6は簡単に判別が可能で
通常時のチェリー確率、もしくは
ビッグの放出確率がハズレ時の1/29になる
ギガチャンスの継続ゲーム数で分かる。
※30p続けばほぼ設定6。
最初は設定6もあり、ライバルも少なかったが
雑誌などに解析が乗り始めると、徐々に
打てる台が無くなっていった。
その店は場所も場所だけに客が
集まりにくかったのだが、気が付けば
ギガフィーバーの島はハイエナだらけに
なっていた。
出玉感もあり、ゲーム性もなかなか
面白かったのだが
業界初の第四のストップボタンを
搭載した本機は、ハイエナ野郎の
餌食となって、大して人気も出ずに
消えていったのである。
やはり海一番、海物語同様、確変機能を
搭載したストック機は結局ハイエナマシンとして
最後はゾーン抜けの台ばかりで
客が飛ぶという現象が起こってしまう。
この頃は辛めのストック4,5号機が多く
たしかに設定狙いよりもハイエナの方が
勝てることもあった。
爆裂王のレギュラー天井狙いや海シリーズ
そしてこのギガフィーバー等々
期待値で言えば今の5号機の何倍もあったので
近場の店をグルっと一周するだけで
簡単に2~3万勝てたのだ。
この時はハイエナだけで時給は5000円を
超えており、とある店では店内を一周すれば
必ずハイエナ台が落ちているという
まさにハイエナバブルであった。
それが私が一時期ハイエナ専門として
動いていた2003年後半のことである。
閉店前に宵い越し天井や残りものの台を
チェックしたら、翌日は昼過ぎに起きて
テコと一緒に適当にパチ屋を回る。
※残りものがあった場合は朝一からだが。
こんな楽で稼げる生活が半年以上も続くわけだが
その後、2004年にはハイエナ特化ストック機の
時代も終焉を迎え、私は再び設定狙いメインで
立ち回ることになる。
どのパチ屋の客も減り始めていたが
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パチスロ業界は活気を取り戻すのである。
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