1995年パチスロ!パチンコ屋で初めてビッグボーナス(スリーセブン)を揃えた日。
- 2017/11/20
- 00:13
■アラジンシリーズの迷機?
気が付けばこの名機物語外伝シリーズも
100回を超えていた。
というわけで今回は私がパチスロに
ハマった頃の話でもしよう。
私が初めてパチスロを打ったのが1995年。
バブルが弾けて世の中は不景気真っ只中。
だからなのかパチ屋はそれに反して
盛り上がっていた。
皆娯楽と言えども勝ちを求めていたのだろう。
1995年当時の私と言えば、兄貴に
連れられてはいつも平台を打っていた。
その後CR花満開で連チャン機の面白さを
体感し、やがて私は自分で目押しする
楽しみのあるパチスロに出会う。

🄫サミー
※ボーナス確率
設定1:B1/431R1/585
設定2:B1/431R1/585
設定3:B1/431R1/585
設定4:B1/431R1/585
設定5:B1/431R1/585
設定6:B1/431R1/431
※集中(アラジンチャンス)
設定1:1/2730
設定2:1/1489
設定3:1/1092
設定4:1/963
設定5:1/862
設定6:1/862
(パンク確率1/149)
※機械割
設定1:92%
設定2:98%
設定3:101%
設定4:103%
設定5:105%
設定6:107%
一番最初に打ったパチスロは兄貴に
貰った1万円で、訳も分からず座った
ラクダの台。
今思い返すとそれは1995年6月に登場した
名機『アラジン』シリーズ初の4号機
『アラジンマスター』である。
集中役『アラジンチャンス』を搭載した
本機だが、1989年に登場した初代アラジンに
比べると爆発力は大幅にダウンしている。
※初代のパンク確率はビッグボーナスを
抜きにして1/762。
令和元年記念!平成元年に登場したパチスロ!1989年の名機『アラジン』の思い出。
ビッグが揃うか純正なパンク抽選に
当選するまでラクダが揃いまくる
伝説の集中役を搭載したことにより
初代アラジンは大ヒット機種となり
その後に登場した3号機のアラジン2も
爆発力はややダウンしたものの、当時は
裏モノも多く出回っており、色んな意味で
人気のある機種であった。
だが、残念ながら三作目である本機は
爆発力の無さからか、あまり人気が
出ることなく消えていった。
実際私も訳も分からず打ったパチスロが
集中機ということで、スベリの熱さどころか
単チェリーが出ても何も気づかずに
消化していた記憶がある。
その後はニューパルやスープラを
兄貴の横で2~3回打った程度で
しばらくパチスロから遠ざかることになった。
1995年冬に、アラマスで初めて
ビッグボーナスを揃えたあの時の感動を
ふと思い出し、ある時パチスロ雑誌を
買って読んでみた。
『パチスロは目押しさえできれば勝てる』
そうデカデカと書かれた赤文字に
騙されて?再びパチスロを打つことになった。
そこで初めて自分の金で打ったのが
1997年2月ベルコから登場した
初代『サルカニ合戦』である。

🄫ベルコ
ベルコは今でこそ、ビンゴなど
適当打ちの台というイメージだが
この機種に関しては技術介入性が
割と高かった。
とは言え、やはり元々のスペックは
辛いので、当然簡単に勝てるわけもなく
数千円ほど負けたのを覚えている。
『機種選択が間違っていた』
そう思った私はその後、雑誌で色々な機種を
勉強して、リプレイハズシや設定判別を
頭に叩き込んだ。
そして初めて勝てると実感した機種が
1996年登場の『クランキーコンテスト』である。

🄫ユニバーサル
私がパチスロ人生の中で最も打ち込んだ?
機種と言っても過言ではない。
まだまだこの頃は2号機や3号機の人気機種が
現役で稼働していたのだが、私が
通っていたうちのA店はパチスロが
100台あるかどうかの小さな店で
そのほとんどがニューパルとピンクパンサー
そして初代ジャグラーとコンドルだった。
※コンテストは5台ほど。
コンドルは既にオール設定1な状況だったが
コンテストにはほぼ毎日設定56があり
勝てたのである。
丁度、梅雨の時期。
家から5キロ以上はある某店に
数千円を握りしめて、連日土砂降りの
雨の中、走って打ちに行っていたこともある。
とにかく毎日パチスロを打つことが
楽しくて仕方なかった。
・・・あれから20年。
気が付けば今ではパチ屋に行くことさえ
億劫になっている。
パチスロに対する愛はもう既に無い。
兄貴の横で2~3回打った程度で
しばらくパチスロから遠ざかることになった。
1995年冬に、アラマスで初めて
ビッグボーナスを揃えたあの時の感動を
ふと思い出し、ある時パチスロ雑誌を
買って読んでみた。
『パチスロは目押しさえできれば勝てる』
そうデカデカと書かれた赤文字に
騙されて?再びパチスロを打つことになった。
そこで初めて自分の金で打ったのが
1997年2月ベルコから登場した
初代『サルカニ合戦』である。

🄫ベルコ
ベルコは今でこそ、ビンゴなど
適当打ちの台というイメージだが
この機種に関しては技術介入性が
割と高かった。
とは言え、やはり元々のスペックは
辛いので、当然簡単に勝てるわけもなく
数千円ほど負けたのを覚えている。
『機種選択が間違っていた』
そう思った私はその後、雑誌で色々な機種を
勉強して、リプレイハズシや設定判別を
頭に叩き込んだ。
そして初めて勝てると実感した機種が
1996年登場の『クランキーコンテスト』である。

🄫ユニバーサル
私がパチスロ人生の中で最も打ち込んだ?
機種と言っても過言ではない。
まだまだこの頃は2号機や3号機の人気機種が
現役で稼働していたのだが、私が
通っていたうちのA店はパチスロが
100台あるかどうかの小さな店で
そのほとんどがニューパルとピンクパンサー
そして初代ジャグラーとコンドルだった。
※コンテストは5台ほど。
コンドルは既にオール設定1な状況だったが
コンテストにはほぼ毎日設定56があり
勝てたのである。
丁度、梅雨の時期。
家から5キロ以上はある某店に
数千円を握りしめて、連日土砂降りの
雨の中、走って打ちに行っていたこともある。
とにかく毎日パチスロを打つことが
楽しくて仕方なかった。
・・・あれから20年。
気が付けば今ではパチ屋に行くことさえ
億劫になっている。
パチスロに対する愛はもう既に無い。
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