1997年!20年前のパチスロ!サンダーVの兄弟機、エレコ『ドギージャム』を打つ。
- 2018/04/17
- 21:55
■サンダーVに隠れたもう一つの名機
1997年12月、名機『サンダーV』の
兄弟機としてエレコから、犬のDJを
モチーフとした台が登場する。
その名も『ドギージャム』

©エレコ

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/287,4 | 1/512,0 |
設定2 | 1/282,4 | 1/512,0 |
設定3 | 1/273,0 | 1/496,4 |
設定4 | 1/264,2 | 1/468,1 |
設定5 | 1/252,0 | 1/409,6 |
設定6 | 1/240,9 | 1/364,0 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 97,3% |
設定2 | 100,6% |
設定3 | 103,8% |
設定4 | 107,0% |
設定5 | 110,3% |
設定6 | 113,6% |
【基本仕様】
ごく普通のA400のノーマルタイプで
技術介入機。
通常時の小役狙いから、ハズシ効果まで
効果は抜群だったが、ハズシの際の
変則押し時は、中リールでのベル獲得時
中下段受けのハズシがビタ押しと
やや難易度は高い。
【辛いスペックと秀逸なリーチ目】
パチンコ屋は以前から兄貴に
連れられて、ちょくちょく行っていたが
その時はもっぱら平台、出たばかりのCR機を
打っていて、パチスロはたまにしか
打たなかった。
私が初めてパチスロを打ったのが
クランキーコンドルがデビューした
1995年だが、当時は店側が仕込める
モーニングサービスがまだあって
兄貴に連れられて、訳も分からぬまま
言われた台に座り、お小遣いを
ゲットした記憶がある。
※何を打ったかまでは覚えていない。
当時はまだまだ人気の3号機も
設置しており、私がよく平台の玉ちゃんファイトを
打っていた店には、スープラの他に
リノ、ドリームセブンjr.が現役で
稼働していた。
※リノとドリセブは裏モノ。
その中でも割と新しめな『アラジンマスター』が
私のパチスロ初打ちとなり、その後は
しばらくパチスロから遠ざかっていた
わけだが、その後クランキーコンテストなどの
技術介入機で勝つことを覚え
気が付けばパチスロにのめり込んでいった。
その当時、コンテストの他に打っていた
機種がゲッターマウス、ボーナスショップ
そして今回紹介するドギージャムである。
1997年パチスロ!アクロスでリメイクしてほしい機種!『ボーナスショップ』の思い出。
当時は最も多かったタイプが
今でいうところのクラセレのような
ノーマルタイプなのだが、とにかく
自分で攻略する楽しみがあったので
飽きがこなかった。
特にエレコの台は変則的な
リーチ目も多く、非常に探求心を
くすぐられたのである。
で、このドギージャムは丁度
サンダーVと新台時期が同じで
プレイヤーもホール側も皆が
そっちに注目をしていた。
そのため、ドギーの導入は少なく
私の家の近所のほとんどの店には
設置されなかったのである。
その中で一店舗だけ導入されていたのが
何故かコンドルだけに変則押しの張り紙が
デカデカと書かれていた某店である。
この店は今はとっくに駐車場に
なっているが、当時から既に客付きが
悪く、いつ潰れてもおかしくないような
状況だった。
その後に登場したオリンピアの
ビーナスラインやファイヤーコングなどに
変則押し攻略法が発覚して、プロの餌食と
なったのが原因だったのか、結局は
2000年初頭に閉店してしまったのである。
過去にあったパチスロの攻略法・ネタ・バグ機種!一覧・内容・手順まとめ。
で、ドギージャムを初打ちしたのが
1998年初春。
家から車で約15分くらいのところにある
この店に、久しぶりに行ってみようと
歩いて向かう。
店内に入ると、相変わらず
コンドルの台の横には変則押し禁止の
張り紙が貼ってある。
・・・と、何気なく後ろに目をやると
ドギージャムがゲッターマウスと並びで
2台ずつ設置されていた。
ビッグ回数だけ見られるデータカウンタを
ポチポチ押して、前日回数が
付いている方のドギーに着席。
この機種は雑誌で見た程度しか
知らなかったのだが、打つほどに
味が出てくる。
左枠上チェリー付きの赤7ビタ止まりからの
小役ハズレ。
※ビタ停止でなくてもリーチ目。
左上段赤7からの中リール下段赤7の
悶絶ズレ目。

©エレコ
オーソドックスなプラム中段テンパイハズレ
右下段ボーナス絵柄停止の2確など。
※全て左上段チェリー付き赤7絡み。
打てば打つほど癖になる通常時と
痺れるビッグ中のビタ押し。
コンテストやゲッターを打っている時とは
また違った緊張感と、重みのある
リーチ目に虜になっていたのである。
ただ、この機種はスペック的には
当時としては辛めで、人気がなかったのも
あり、私はこの某店で2~3回打っただけで
夏頃には撤去されてしまう。
当時、友人に金を借りてまで
パチスロにのめり込んでいったのは
目押しさえできれば勝てるとの
雑誌のキャッチフレーズだけでなく
それ以上に優れたリール制御と出目が
理由だったのである。
パチンコ屋は以前から兄貴に
連れられて、ちょくちょく行っていたが
その時はもっぱら平台、出たばかりのCR機を
打っていて、パチスロはたまにしか
打たなかった。
私が初めてパチスロを打ったのが
クランキーコンドルがデビューした
1995年だが、当時は店側が仕込める
モーニングサービスがまだあって
兄貴に連れられて、訳も分からぬまま
言われた台に座り、お小遣いを
ゲットした記憶がある。
※何を打ったかまでは覚えていない。
当時はまだまだ人気の3号機も
設置しており、私がよく平台の玉ちゃんファイトを
打っていた店には、スープラの他に
リノ、ドリームセブンjr.が現役で
稼働していた。
※リノとドリセブは裏モノ。
その中でも割と新しめな『アラジンマスター』が
私のパチスロ初打ちとなり、その後は
しばらくパチスロから遠ざかっていた
わけだが、その後クランキーコンテストなどの
技術介入機で勝つことを覚え
気が付けばパチスロにのめり込んでいった。
その当時、コンテストの他に打っていた
機種がゲッターマウス、ボーナスショップ
そして今回紹介するドギージャムである。
1997年パチスロ!アクロスでリメイクしてほしい機種!『ボーナスショップ』の思い出。
当時は最も多かったタイプが
今でいうところのクラセレのような
ノーマルタイプなのだが、とにかく
自分で攻略する楽しみがあったので
飽きがこなかった。
特にエレコの台は変則的な
リーチ目も多く、非常に探求心を
くすぐられたのである。
で、このドギージャムは丁度
サンダーVと新台時期が同じで
プレイヤーもホール側も皆が
そっちに注目をしていた。
そのため、ドギーの導入は少なく
私の家の近所のほとんどの店には
設置されなかったのである。
その中で一店舗だけ導入されていたのが
何故かコンドルだけに変則押しの張り紙が
デカデカと書かれていた某店である。
この店は今はとっくに駐車場に
なっているが、当時から既に客付きが
悪く、いつ潰れてもおかしくないような
状況だった。
その後に登場したオリンピアの
ビーナスラインやファイヤーコングなどに
変則押し攻略法が発覚して、プロの餌食と
なったのが原因だったのか、結局は
2000年初頭に閉店してしまったのである。
過去にあったパチスロの攻略法・ネタ・バグ機種!一覧・内容・手順まとめ。
で、ドギージャムを初打ちしたのが
1998年初春。
家から車で約15分くらいのところにある
この店に、久しぶりに行ってみようと
歩いて向かう。
店内に入ると、相変わらず
コンドルの台の横には変則押し禁止の
張り紙が貼ってある。
・・・と、何気なく後ろに目をやると
ドギージャムがゲッターマウスと並びで
2台ずつ設置されていた。
ビッグ回数だけ見られるデータカウンタを
ポチポチ押して、前日回数が
付いている方のドギーに着席。
この機種は雑誌で見た程度しか
知らなかったのだが、打つほどに
味が出てくる。
左枠上チェリー付きの赤7ビタ止まりからの
小役ハズレ。
※ビタ停止でなくてもリーチ目。
左上段赤7からの中リール下段赤7の
悶絶ズレ目。

©エレコ
オーソドックスなプラム中段テンパイハズレ
右下段ボーナス絵柄停止の2確など。
※全て左上段チェリー付き赤7絡み。
打てば打つほど癖になる通常時と
痺れるビッグ中のビタ押し。
コンテストやゲッターを打っている時とは
また違った緊張感と、重みのある
リーチ目に虜になっていたのである。
ただ、この機種はスペック的には
当時としては辛めで、人気がなかったのも
あり、私はこの某店で2~3回打っただけで
夏頃には撤去されてしまう。
当時、友人に金を借りてまで
パチスロにのめり込んでいったのは
目押しさえできれば勝てるとの
雑誌のキャッチフレーズだけでなく
それ以上に優れたリール制御と出目が
理由だったのである。
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