1997年パチスロ!スイカ揃いでビッグ!『ニュービッグパルサー』の思い出。
- 2018/06/06
- 11:04
■名機ビッグパルサーの後継機!
A400タイプの黄金期だった1997年の1月
山佐から2号機『ビッグパルサー』の後継機が
登場する。
その名も『ニュービッグパルサー』
©山佐
設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/292,6 | 1/655,4 |
設定2 | 1/277,7 | 1/585,1 |
設定3 | 1/264,3 | 1/528,5 |
設定4 | 1/252,1 | 1/481,9 |
設定5 | 1/240,9 | 1/442,8 |
設定6 | 1/240,9 | 1/364,1 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 95,2% |
設定2 | 97,8% |
設定3 | 100,3% |
設定4 | 102,7% |
設定5 | 105,2% |
設定6 | 107,7% |
【基本仕様】
2号機の大ヒット作『ビッグパルサー』の
正統後継機であり、最大の特徴はスイカが
ビッグ絵柄になっているという点。
設定判別は6のみ減算値判別が可能だったが
やはり時代の流れだったのだろう。
当時のコンドル、タコスロのような
技術介入要素はほとんどなく
ビッグパルサーとは打って変わり
人気は出なかった機種である。
【思い出】
ビッグパルサーと言えばオレンジV。
この印象が強かったが、4号機である
『ニュービッグパルサー』は
既に時代が求めているものではなかった。
97年と言えば技術介入機全盛の時代であり
攻略要素が低い台は若者には好まれず
この機種は年配客に喜ばれた一台である。
私がこの機種を初めて打ったのは
新台からしばらく経ってからで、ちょうど
クランキーコンテストを打ちに通っていた
某店で、マイマイが導入された時である。
1998年パチスロ!ニューパルの後継機?兄弟機?『マイマイN』の思い出。
マイマイが導入された列の対面に3台ほど
ひっそり設置されてあったパルサーは
誰も座っておらず、既にいつ外されても
おかしくない状況だった。
この店ではコンテストやゲッターの設定狙いに
失敗した後は、たまに遊びで他の機種を
打っていたのだが、たまたま
雑誌でビッグパルサーの記事を読んで
面白そうだったので、試しにその後継機を
打ってみようと思ったのである。
ただ実際は雑誌に載っていた
ビッグパルサーのリーチ目は
あまり継承されておらず
入っていると思ったら入っていなかったり
困惑したのを覚えている。
リール制御は、1996年に登場した
ワイワイパルサー2とほとんど同じで
枠内にチェリーが4つ止まればリーチ目である。
ちなみに兄弟機として数か月後にデビューした
『タンタンタヌキ』は絵柄のみ違っているだけで
中身は全く同じだった。
※この機種は打った記憶がない。
このように当時は外見は違えども、中身が
似たような機種を数多く登場させていた。
そのせいなのか、不動の人気だった
パルサーシリーズにも陰りが見え始めた頃で
その後は大ヒットストック機
『キングパルサー』の登場まで
しばらく停滞することになるのである。
それでも当時の山佐は、今思えば
出目だけに拘っており、それだけで
楽しませてくれたメーカーだと言える。
技術介入性がないからこそ、奥が深く
大量リーチ目マシンは活きるのである。
ビッグパルサーと言えばオレンジV。
この印象が強かったが、4号機である
『ニュービッグパルサー』は
既に時代が求めているものではなかった。
97年と言えば技術介入機全盛の時代であり
攻略要素が低い台は若者には好まれず
この機種は年配客に喜ばれた一台である。
私がこの機種を初めて打ったのは
新台からしばらく経ってからで、ちょうど
クランキーコンテストを打ちに通っていた
某店で、マイマイが導入された時である。
1998年パチスロ!ニューパルの後継機?兄弟機?『マイマイN』の思い出。
マイマイが導入された列の対面に3台ほど
ひっそり設置されてあったパルサーは
誰も座っておらず、既にいつ外されても
おかしくない状況だった。
この店ではコンテストやゲッターの設定狙いに
失敗した後は、たまに遊びで他の機種を
打っていたのだが、たまたま
雑誌でビッグパルサーの記事を読んで
面白そうだったので、試しにその後継機を
打ってみようと思ったのである。
ただ実際は雑誌に載っていた
ビッグパルサーのリーチ目は
あまり継承されておらず
入っていると思ったら入っていなかったり
困惑したのを覚えている。
リール制御は、1996年に登場した
ワイワイパルサー2とほとんど同じで
枠内にチェリーが4つ止まればリーチ目である。
ちなみに兄弟機として数か月後にデビューした
『タンタンタヌキ』は絵柄のみ違っているだけで
中身は全く同じだった。
※この機種は打った記憶がない。
このように当時は外見は違えども、中身が
似たような機種を数多く登場させていた。
そのせいなのか、不動の人気だった
パルサーシリーズにも陰りが見え始めた頃で
その後は大ヒットストック機
『キングパルサー』の登場まで
しばらく停滞することになるのである。
それでも当時の山佐は、今思えば
出目だけに拘っており、それだけで
楽しませてくれたメーカーだと言える。
技術介入性がないからこそ、奥が深く
大量リーチ目マシンは活きるのである。
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