1995年パチスロ!パチスロのタイアップ機第一弾『ピンクパンサー』の思い出。
- 2018/07/12
- 20:08
■業界初の初のタイアップマシン登場
1995年、クランキーコンドルの登場から
約2か月後の11月、山佐からダイバーズ
セブンリーグに次いで、またも
大量リーチ目マシンが登場する。
その名も『ピンクパンサー』

PINK PANTHER TM and
©1996 United Artists Pictures Inc.
Licensed by MGM/UA L&M. TM used by permisson.
©山佐

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/287,44 | 1/630,15 |
設定2 | 1/268,59 | 1/606,82 |
設定3 | 1/256,00 | 1/564,97 |
設定4 | 1/244,54 | 1/528,52 |
設定5 | 1/240,94 | 1/442,81 |
設定6 | 1/240,94 | 1/360,09 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 94,2% |
設定2 | 97,0% |
設定3 | 99,2% |
設定4 | 101,4% |
設定5 | 103,7% |
設定6 | 106,6% |
【基本仕様】
本機は海外で有名なピンクパンサーとの
タイアップで、オーソドックスな
A400タイプマシン。
山佐と言えばプラネット、ニューパルで
お馴染みのテーブル制御で
大量リーチ目マシンが売りだったが
この機種もそうだった。
スペックは辛めでハズシは多少効果が
あったが、難易度が高く、全体的な
技術介入度は低め。
また設定5以上の判別が可能だった。
【思い出】
この機種が出た当初のパチ屋は
ニューパルが圧倒的シェアを誇っており
どこもかしこもカエルだらけ。
1993年パチスロ!4号機史上最も人気(売れた)のあったA400タイプ「ニューパルサー」の思い出。

©山佐
ちょうどコンドルが登場して間もない頃だったが
この頃はまだまだリプレイハズシが
浸透しておらず、技術介入機も
数が少なかった。
この頃の私はほとんど平台しか
打っておらず、パチスロに関しては
兄貴の金でしか打ったことがなく
勝てるものという認識はなかった。
それからコンドルの後継機である
クランキーコンテストが登場してから
本格的にパチスロで喰うようになったわけだが
技術介入世代の私にとってピンクパンサーは
人気機種ではあったものの、特に何の魅力も
感じられなかった。
大量リーチ目マシンは好きだったが
技術介入度の低い機種はイマイチ
面白味がなかったので、導入されてからも
しばらく打つことはなかった。
で、ピンクパンサーを初打ちしたのは
それから数年後で、家から車で
10分程度のところにある近所の小さな
パチンコ屋。
1970年代?の高度経済成長機にオープンした
パチ屋で、かなりの昭和なレトロ店だった。
ピンパンはダイバーズと並びで
設置されてあったが、既にどちらも
導入から数年が経過しており
誰も座っていない。
1995年パチスロ!カメ揃いビッグ!変なビッグ絵柄を搭載した山佐4号機第二弾『ダイバーズXX』
たしかコンテストか何かで負けた後に
遊び打ちしたのが最初だと思うが
リーチ目はニューパルと若干異なり
困惑したのを覚えている。
ボーナス絵柄の一直線は
ビッグ絵柄ならば全て確定で
ボーナス絵柄の小Vや逆小V型も鉄板。
さらに中リール中段リプレイでの
ボーナスハサミ目は全てボーナス確定
といった感じだ。
当時の私は山佐の機種を
ほぼ打っていなかったこともあり
チェリーハサミ目(後目)を
バンバン出していた記憶があるが
その日は山佐連をぶちかまして
快勝したと記憶している。
ちなみにこの店には羽根物の定量制で喰う
年配のパチプロや、コンテストのハズシを
常時即止めでこなす達人も居たりして
彼らの後ろ姿を見て、私も少しずつ
技術力や立ち回りが鍛えられていったのだ。
だが、そんな昭和のプロ達が居たこの店も
大花火が登場する直前の1999年半ば頃に
ついに閉店を迎える。
その後すぐにその店の跡地には、内装は
そのままで別のパチ屋がオープンした。
ピンパンはあろうことか台数そのまま
残されており、後継機であるピンクパンサー3も
導入されていた。

PINK PANTHER and
associated marks and characters
TM&©1999 United Artists Corporatin.
All rights reserved.
©山佐
ピンパン3は山佐初のCT機であり
時期的に私は同時期に登場したアステカばかり
打っていたので、ほぼ打っていない。
1999年パチスロ!山佐の最初で最後の爆裂CT機『ピンクパンサー3』の新装で絡まれたチンピラと運命の再開。
ただ、その店の初代ピンパンは
相変わらず客付きは悪かったにもかかわらず
3と共に、登場から実に10年近くも
設置されていた名機なのである。
この機種が出た当初のパチ屋は
ニューパルが圧倒的シェアを誇っており
どこもかしこもカエルだらけ。
1993年パチスロ!4号機史上最も人気(売れた)のあったA400タイプ「ニューパルサー」の思い出。

©山佐
ちょうどコンドルが登場して間もない頃だったが
この頃はまだまだリプレイハズシが
浸透しておらず、技術介入機も
数が少なかった。
この頃の私はほとんど平台しか
打っておらず、パチスロに関しては
兄貴の金でしか打ったことがなく
勝てるものという認識はなかった。
それからコンドルの後継機である
クランキーコンテストが登場してから
本格的にパチスロで喰うようになったわけだが
技術介入世代の私にとってピンクパンサーは
人気機種ではあったものの、特に何の魅力も
感じられなかった。
大量リーチ目マシンは好きだったが
技術介入度の低い機種はイマイチ
面白味がなかったので、導入されてからも
しばらく打つことはなかった。
で、ピンクパンサーを初打ちしたのは
それから数年後で、家から車で
10分程度のところにある近所の小さな
パチンコ屋。
1970年代?の高度経済成長機にオープンした
パチ屋で、かなりの昭和なレトロ店だった。
ピンパンはダイバーズと並びで
設置されてあったが、既にどちらも
導入から数年が経過しており
誰も座っていない。
1995年パチスロ!カメ揃いビッグ!変なビッグ絵柄を搭載した山佐4号機第二弾『ダイバーズXX』
たしかコンテストか何かで負けた後に
遊び打ちしたのが最初だと思うが
リーチ目はニューパルと若干異なり
困惑したのを覚えている。
ボーナス絵柄の一直線は
ビッグ絵柄ならば全て確定で
ボーナス絵柄の小Vや逆小V型も鉄板。
さらに中リール中段リプレイでの
ボーナスハサミ目は全てボーナス確定
といった感じだ。
当時の私は山佐の機種を
ほぼ打っていなかったこともあり
チェリーハサミ目(後目)を
バンバン出していた記憶があるが
その日は山佐連をぶちかまして
快勝したと記憶している。
ちなみにこの店には羽根物の定量制で喰う
年配のパチプロや、コンテストのハズシを
常時即止めでこなす達人も居たりして
彼らの後ろ姿を見て、私も少しずつ
技術力や立ち回りが鍛えられていったのだ。
だが、そんな昭和のプロ達が居たこの店も
大花火が登場する直前の1999年半ば頃に
ついに閉店を迎える。
その後すぐにその店の跡地には、内装は
そのままで別のパチ屋がオープンした。
ピンパンはあろうことか台数そのまま
残されており、後継機であるピンクパンサー3も
導入されていた。

PINK PANTHER and
associated marks and characters
TM&©1999 United Artists Corporatin.
All rights reserved.
©山佐
ピンパン3は山佐初のCT機であり
時期的に私は同時期に登場したアステカばかり
打っていたので、ほぼ打っていない。
1999年パチスロ!山佐の最初で最後の爆裂CT機『ピンクパンサー3』の新装で絡まれたチンピラと運命の再開。
ただ、その店の初代ピンパンは
相変わらず客付きは悪かったにもかかわらず
3と共に、登場から実に10年近くも
設置されていた名機なのである。
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