2006年パチスロ!大都技研最後の4号機『秘宝伝』とパチ屋の閉店時の最後の挨拶。
- 2018/07/16
- 18:40
■4号機最後のプロ向けマシン登場
4号機末期の2006年6月、大都技研から
最後の4号機が登場する。
その名も『秘宝伝』

©大都技研

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/348 | 1/350 |
設定2 | 1/322 | 1/321 |
設定3 | 1/301 | 1/300 |
設定4 | 1/282 | 1/282 |
設定5 | 1/274 | 1/274 |
設定6 | 1/259 | 1/261 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 95,18% |
設定2 | 98,98% |
設定3 | 102,83% |
設定4 | 106,87% |
設定5 | 109,69% |
設定6 | 114,13% |
【基本仕様】
A400のストック機。
本機は秘宝伝シリーズの初代であり、4号機末期に
大ヒットした機種である。
通常時はチャンス目を引いて
ボーナス高確率ゾーンである
「高確率」を目指すゲーム性。
またビッグ中はハズレとスイカ確率に
設定差が存在し、それである程度の
設定推測が可能だった。
この設定推測のしやすさが受けて
プロに好まれた一台である。
【思い出】
4号機末期と言えば、既に私は
パチスロに対するモチベーションが
今ほどとまではいかないが、限りなく
0に等しかった。
低い技術介入性とスペックの辛さ
出目よりも液晶演出に重きを置いた
機種ばかりにウンザリしていたのである。
ただこの秘宝伝に関してはビッグ中のハズレと
スイカに注目して立ち回れば、かなり
甘い機種だったので、おかげでパチスロに
対するやる気が少し復活したのである。
よく打っていたのは2004年末頃に
オープンした某大型店と同時期に
オープンした小型店。

©エレコ
某大型店のオープン当初はその店で
森の石松や銭形をメインに立ち回っていたが
その後、秘宝伝が一島導入された。
それからというもの秘宝伝ばかり打っており
爆裂AT機時代とまではいかないが
かなり勝ちまくっていた記憶がある。
また、某小型店は設定6を朝と夕方に
発表するというというイベントを行っており
早朝からテコを使って並び、朝一でまず
秘宝と北斗の設定6の札台を押さえ
夕方には残りの設定6を押さえるという
店にある設定6は全て私がツモっていた
正にパラダイス店。
ただそのせいで、数か月後にはジャグラーにしか
高設定が入らなくなり、気が付けば
客が飛んでしまい、潰れてしまった。
ある意味、私が潰した店でもある。
秘宝伝が登場した時期は周りのパチプロが
どんどんヤメていった頃でもあり
私はヤメるタイミングを逃してしまい
それから一年後、時代はパチスロ冬の時代と
呼ばれる初期5号機時代に突入していた。

©大都技研
秘宝伝シリーズは5号機になってからも
何作品か登場しているが、ヒットしたのは
初代はもちろんだが、5号機は
第一弾の封じられた女神と
第二弾の太陽を求める者達だけで
その後のART機は全てコケている。
秘宝伝と名が付けばヒット間違いなしと
言われた時代も、とっくの昔の話で
結局ドンシリーズやエヴァシリーズと同様に
悲しい末路を辿るのである。
この頃の私はパチプロになって
既に10年が経過していたが、たまに
遊びで打っていたみなし機も完全に撤去され
パチスロは勝つ道具でしかなくなっていた。
2006年末頃、クランキーコンドルを
みなし機として最後の最後まで設置してあった
某レトロ店には、最後の新台入れ替えとして
秘宝伝が2台導入された。
変則押し禁止の張り紙がしてあった
コンドルが設置されていた場所に
ひっそりと導入された秘宝伝を打って
時代も変わったんだと、甘い4号機時代を
名残り惜しんだ。
若い頃、ビーナスラインの新台入れ替えで
早くから並んだにもかかわらず
怖い連中に取られて打てなかったり
コアで初めて攻略法を試したり
コンドルでビッグを引くと、店員に
後ろに張り付かれて無言の圧力をかけられたり
色んな思い出があるこの店。
だが、そんな青春の思い出が詰まった
某店も、2007年初め頃には
ついに閉店を迎えたのである。
ちなみにこの店は閉店当日にも
私は訪れている。
「今日までお客様にご愛顧いただきまして
まことにありがとうございました。
昭和5〇年のオープンから〇年。
本日を持ちまして当店は閉店、終了とさせて
いただきます。
長い間ありがとうございました。」
潰れるならば何故秘宝伝を入れたんだと
少し疑問に感じたのだが、こうして4号機最後の
昭和のレトロ店が、また一つ閉店を
迎えたのである。
蛍の光の音楽と共に店内に静かに流れる
白髪の交じった店長のマイクパフォーマンスは
今でも心に残っている。
4号機末期と言えば、既に私は
パチスロに対するモチベーションが
今ほどとまではいかないが、限りなく
0に等しかった。
低い技術介入性とスペックの辛さ
出目よりも液晶演出に重きを置いた
機種ばかりにウンザリしていたのである。
ただこの秘宝伝に関してはビッグ中のハズレと
スイカに注目して立ち回れば、かなり
甘い機種だったので、おかげでパチスロに
対するやる気が少し復活したのである。
よく打っていたのは2004年末頃に
オープンした某大型店と同時期に
オープンした小型店。

©エレコ
某大型店のオープン当初はその店で
森の石松や銭形をメインに立ち回っていたが
その後、秘宝伝が一島導入された。
それからというもの秘宝伝ばかり打っており
爆裂AT機時代とまではいかないが
かなり勝ちまくっていた記憶がある。
また、某小型店は設定6を朝と夕方に
発表するというというイベントを行っており
早朝からテコを使って並び、朝一でまず
秘宝と北斗の設定6の札台を押さえ
夕方には残りの設定6を押さえるという
店にある設定6は全て私がツモっていた
正にパラダイス店。
ただそのせいで、数か月後にはジャグラーにしか
高設定が入らなくなり、気が付けば
客が飛んでしまい、潰れてしまった。
ある意味、私が潰した店でもある。
秘宝伝が登場した時期は周りのパチプロが
どんどんヤメていった頃でもあり
私はヤメるタイミングを逃してしまい
それから一年後、時代はパチスロ冬の時代と
呼ばれる初期5号機時代に突入していた。

©大都技研
秘宝伝シリーズは5号機になってからも
何作品か登場しているが、ヒットしたのは
初代はもちろんだが、5号機は
第一弾の封じられた女神と
第二弾の太陽を求める者達だけで
その後のART機は全てコケている。
秘宝伝と名が付けばヒット間違いなしと
言われた時代も、とっくの昔の話で
結局ドンシリーズやエヴァシリーズと同様に
悲しい末路を辿るのである。
この頃の私はパチプロになって
既に10年が経過していたが、たまに
遊びで打っていたみなし機も完全に撤去され
パチスロは勝つ道具でしかなくなっていた。
2006年末頃、クランキーコンドルを
みなし機として最後の最後まで設置してあった
某レトロ店には、最後の新台入れ替えとして
秘宝伝が2台導入された。
変則押し禁止の張り紙がしてあった
コンドルが設置されていた場所に
ひっそりと導入された秘宝伝を打って
時代も変わったんだと、甘い4号機時代を
名残り惜しんだ。
若い頃、ビーナスラインの新台入れ替えで
早くから並んだにもかかわらず
怖い連中に取られて打てなかったり
コアで初めて攻略法を試したり
コンドルでビッグを引くと、店員に
後ろに張り付かれて無言の圧力をかけられたり
色んな思い出があるこの店。
だが、そんな青春の思い出が詰まった
某店も、2007年初め頃には
ついに閉店を迎えたのである。
ちなみにこの店は閉店当日にも
私は訪れている。
「今日までお客様にご愛顧いただきまして
まことにありがとうございました。
昭和5〇年のオープンから〇年。
本日を持ちまして当店は閉店、終了とさせて
いただきます。
長い間ありがとうございました。」
潰れるならば何故秘宝伝を入れたんだと
少し疑問に感じたのだが、こうして4号機最後の
昭和のレトロ店が、また一つ閉店を
迎えたのである。
蛍の光の音楽と共に店内に静かに流れる
白髪の交じった店長のマイクパフォーマンスは
今でも心に残っている。
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