2000年パチスロ!パチ屋で4日連続で徹夜した開店プロ時代!『デュエルドラゴン2』の思い出。
- 2018/10/24
- 14:07
■アルゼをダメにした液晶パチスロ登場
大量獲得マシンなどの新基準機が登場して
数年が経った2000年の2月。
アルゼから初の液晶搭載機として
デュエルドラゴンが登場したわけだが
この機種はRと2が同時リリースという
形でデビューした。
※Rは大量獲得機で、2はA400。
今回は2を打った時の思い出を紹介する。

©アルゼ

設定 | ビッグ | レギュラー |
設定1 | 1/292,6 | 1/468,1 |
設定2 | 1/282,5 | 1/455,1 |
設定3 | 1/264,3 | 1/442,8 |
設定4 | 1/252,1 | 1/442,8 |
設定5 | 1/240,9 | 1/420,1 |
設定6 | 1/240,9 | 1/364,1 |
設定 | 機械割 |
設定1 | 98,0% |
設定2 | 99,5% |
設定3 | 102,15% |
設定4 | 103,9% |
設定5 | 106,4% |
設定6 | 107,6% |
【基本仕様】
以前記事で紹介したのは大量獲得機の
デュエルドラゴンRだが、本機は
至って普通のA400タイプマシン。
Rとリーチ目やリール配列は全く同じだが
タイプが違うので、当然スペックは
異なっていた。
リプレイハズシは上段受けはハズシ不可能だが
右リール上段リプレイ停止時は
中リールに④番のリプレイをビタ押しすることで
ハズすことが可能になる。
ユニバーサル初の液晶搭載パチスロ『デュエルドラゴンR』の思い出。
【思い出】
正直デュエルドラゴン2に関しては
ほとんど打った記憶がない。
というのもデュエル自体甘いとは
言えない機種であり、どちらかと言えば
高設定域のスペックが高いRを
打っていた。
※とは言え、フル攻略では設定1で
出率100%を超えていたが。
ただ慣れない液晶とユニバお馴染みの
ドデカ7でなくなったこともあり
私はあまり好きにはなれなかった。
【4日連続で徹夜】
その頃の私は開店プロをしながらも
何もない時は某大型店に通っていた。
※開店プロとはオープンしたばかりの
オイシイ状況の店を狙って打つプロのこと。
グランドオープンから約1年が経っていたが
相変わらず出玉は他店を寄せ付けないほどの
圧倒的なものだった。
ちょうどその頃、その店にデュエル2が新台で
導入されたわけだが、私は打たず
ビーマックスや大花火、アステカなどの
ハイスペック機を打っていた。
ただ予想もしていなかった初打ちは
突然やってきた。
当時この店では朝一にリールに7が
並んでいたら高設定というイベントを
行っていた。
※設置の多い機種には2台あり
最初の頃は信頼度も高く、片方が設定6
片方が設定456という感じだった。
当然その7並び台を目的に毎晩
徹夜組が並んでいた。
私もその徹夜組の一人として
一時期は7並び台を狙っていたのだが
エルビスやマンクラ3、大花火などの
ハイスペック機は人気で前日の閉店前から
並ばなければ取れないほどだった。
この7並び台はビーマックスや花火など
何度か打ったことがあるが
どちらも設定6で、やはり魅力的である。
ちなみに最高で4日連続徹夜並びを
したことがあるが、その時の内容を
ざっと紹介しよう。
まず初日は閉店直前の11時前から
知り合い数人と並ぶ。
この頃はパチスロを打つために徹夜して
並ぶという行為自体に慣れておらず
新鮮で何かのイベントに参加しているようで
楽しかった。
大体は寝袋やシートを敷いて寝ながら
徹夜している者が多かったが
中には七輪で肉を焼いていたものや
小さいテントを張っていた強者まで存在した。
まるでお祭り感覚のこの感じが
当時は好きだったが、所詮は待つだけの
時間。
ワクワクドキドキはすぐに苦痛に変わる。
実際並びが嫌いになったのはこの頃の
徹夜が原因である。

©アルゼ
・・・で、初日はビーマックスの7並びを
ゲットして8000枚。
閉店後は某健康ランドで体を休めて
そのまま店に戻り、車で仮眠を取りながら
残った知り合い1人と交代で並ぶ。
※もう1人は帰宅。
話相手が居ないのはかなり苦痛で
酒を飲んで寝袋で寝るしかなかった。
2日目もビーマックス。
・・・が、この日は設定4だったようで
イマイチ出ずに終了。
※ビーマックスの7並びは2台あり
片方が設定4だった。
閉店後は前日と同じく某健康ランドで
風呂に浸かって、そのまま店に戻って
並び。
3日目は残念ながら大量獲得機と
CT機には先客で埋まっていたので
仕方なく花火(かジロキチ)
これがすぐに56判別が通って閉店勝負。
閉店後はまた健康ランドへ行く予定だったが
既に人が集まりだしていたのでそのまま
並びへ。

©IGT
そして4日目の朝。
風呂にも入らずに体もバキバキの寝不足で
帰りたかったのだが、なんとしても
エルビスの設定6が打ちたかったので
我慢して並んだ。
日に日に競争率が高くなっていたが
先客は数人だったので、エルビスか
アステカかマンクラのどれかには
確実に座れる。
そう思い、開店してそれぞれの島に
向かうも7並びがどこにも無い。
どうやらこの日は新基準などのハイスペックには
7並びが無かったようで、仕方なく
デュエルドラゴン2の7並びを確保。
そう、これがデュエル2の初打ちである。
基本的にはRと同じ打ち方で
ダイヤ付き白7を狙って中にダイヤ付き
バーを狙ってダイヤがテンパイしたら
右にもダイヤ付き白7を狙う。
たまにハサミで白7とダイヤのズレ目が
見れたりして、液晶搭載機の割には
そこそこ美しいリーチ目も存在した。
・・・が、この推定6のデュエル2は
2000枚くらい出ていたと思うが
夕方にはヤメることになる。
理由は体力の限界だったからだ。
3日連続徹夜並びは記憶が確かならば
後にも先にもこの時だけだろう。
知り合いも体力の限界で既に帰っており
私は足が無かったので、タクシーで
帰って体を休めた。
※4日間の総収支は+約40万程度。
これ以来、徹夜することは滅多になくなった
と同時に、某店の7並びイベントが廃止された。
どうしても一度は打ちたかった
4号機Bタイプ最高のスペックを誇った
エルビスの設定6。
これを打つことは夢のままとなってしまったが
この時代はそれだけ徹夜してまで
パチスロを打つ価値があったということである。
・・・あれから18年。
この超優良店だった某店は
今も営業中だが、その時に居たプロ達は
ほとんど居なくなっており
先日その店で徹夜していたプロの
一人を同じ店で見掛けた。
もう話すことはなかったが、白髪交じりの
彼は1パチのフィーバークイーンを
打ちながら奥さんらしき女性と楽しそうに
談笑していた。
所詮辛い辛い今のパチンコ・パチスロは
勝つためではなく、遊びで打つのが丁度良い。
彼はそれを教えてくれたのかもしれない。
正直デュエルドラゴン2に関しては
ほとんど打った記憶がない。
というのもデュエル自体甘いとは
言えない機種であり、どちらかと言えば
高設定域のスペックが高いRを
打っていた。
※とは言え、フル攻略では設定1で
出率100%を超えていたが。
ただ慣れない液晶とユニバお馴染みの
ドデカ7でなくなったこともあり
私はあまり好きにはなれなかった。
【4日連続で徹夜】
その頃の私は開店プロをしながらも
何もない時は某大型店に通っていた。
※開店プロとはオープンしたばかりの
オイシイ状況の店を狙って打つプロのこと。
グランドオープンから約1年が経っていたが
相変わらず出玉は他店を寄せ付けないほどの
圧倒的なものだった。
ちょうどその頃、その店にデュエル2が新台で
導入されたわけだが、私は打たず
ビーマックスや大花火、アステカなどの
ハイスペック機を打っていた。
ただ予想もしていなかった初打ちは
突然やってきた。
当時この店では朝一にリールに7が
並んでいたら高設定というイベントを
行っていた。
※設置の多い機種には2台あり
最初の頃は信頼度も高く、片方が設定6
片方が設定456という感じだった。
当然その7並び台を目的に毎晩
徹夜組が並んでいた。
私もその徹夜組の一人として
一時期は7並び台を狙っていたのだが
エルビスやマンクラ3、大花火などの
ハイスペック機は人気で前日の閉店前から
並ばなければ取れないほどだった。
この7並び台はビーマックスや花火など
何度か打ったことがあるが
どちらも設定6で、やはり魅力的である。
ちなみに最高で4日連続徹夜並びを
したことがあるが、その時の内容を
ざっと紹介しよう。
まず初日は閉店直前の11時前から
知り合い数人と並ぶ。
この頃はパチスロを打つために徹夜して
並ぶという行為自体に慣れておらず
新鮮で何かのイベントに参加しているようで
楽しかった。
大体は寝袋やシートを敷いて寝ながら
徹夜している者が多かったが
中には七輪で肉を焼いていたものや
小さいテントを張っていた強者まで存在した。
まるでお祭り感覚のこの感じが
当時は好きだったが、所詮は待つだけの
時間。
ワクワクドキドキはすぐに苦痛に変わる。
実際並びが嫌いになったのはこの頃の
徹夜が原因である。

©アルゼ
・・・で、初日はビーマックスの7並びを
ゲットして8000枚。
閉店後は某健康ランドで体を休めて
そのまま店に戻り、車で仮眠を取りながら
残った知り合い1人と交代で並ぶ。
※もう1人は帰宅。
話相手が居ないのはかなり苦痛で
酒を飲んで寝袋で寝るしかなかった。
2日目もビーマックス。
・・・が、この日は設定4だったようで
イマイチ出ずに終了。
※ビーマックスの7並びは2台あり
片方が設定4だった。
閉店後は前日と同じく某健康ランドで
風呂に浸かって、そのまま店に戻って
並び。
3日目は残念ながら大量獲得機と
CT機には先客で埋まっていたので
仕方なく花火(かジロキチ)
これがすぐに56判別が通って閉店勝負。
閉店後はまた健康ランドへ行く予定だったが
既に人が集まりだしていたのでそのまま
並びへ。

©IGT
そして4日目の朝。
風呂にも入らずに体もバキバキの寝不足で
帰りたかったのだが、なんとしても
エルビスの設定6が打ちたかったので
我慢して並んだ。
日に日に競争率が高くなっていたが
先客は数人だったので、エルビスか
アステカかマンクラのどれかには
確実に座れる。
そう思い、開店してそれぞれの島に
向かうも7並びがどこにも無い。
どうやらこの日は新基準などのハイスペックには
7並びが無かったようで、仕方なく
デュエルドラゴン2の7並びを確保。
そう、これがデュエル2の初打ちである。
基本的にはRと同じ打ち方で
ダイヤ付き白7を狙って中にダイヤ付き
バーを狙ってダイヤがテンパイしたら
右にもダイヤ付き白7を狙う。
たまにハサミで白7とダイヤのズレ目が
見れたりして、液晶搭載機の割には
そこそこ美しいリーチ目も存在した。
・・・が、この推定6のデュエル2は
2000枚くらい出ていたと思うが
夕方にはヤメることになる。
理由は体力の限界だったからだ。
3日連続徹夜並びは記憶が確かならば
後にも先にもこの時だけだろう。
知り合いも体力の限界で既に帰っており
私は足が無かったので、タクシーで
帰って体を休めた。
※4日間の総収支は+約40万程度。
これ以来、徹夜することは滅多になくなった
と同時に、某店の7並びイベントが廃止された。
どうしても一度は打ちたかった
4号機Bタイプ最高のスペックを誇った
エルビスの設定6。
これを打つことは夢のままとなってしまったが
この時代はそれだけ徹夜してまで
パチスロを打つ価値があったということである。
・・・あれから18年。
この超優良店だった某店は
今も営業中だが、その時に居たプロ達は
ほとんど居なくなっており
先日その店で徹夜していたプロの
一人を同じ店で見掛けた。
もう話すことはなかったが、白髪交じりの
彼は1パチのフィーバークイーンを
打ちながら奥さんらしき女性と楽しそうに
談笑していた。
所詮辛い辛い今のパチンコ・パチスロは
勝つためではなく、遊びで打つのが丁度良い。
彼はそれを教えてくれたのかもしれない。
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